精神の不満をあがなうことを探求する全てのものは,
それぞれの場所で人間生活の価値を高め,
不平と痛みに満ちた奴隷状態の一部を克服してくれるのです.
- Karel Čapek「機械の暴政について」
思想の起源には軽率な行いが殆どの場合に存在する.イスカリオテのユダは述べるまでもなく,パウロやペトロも,まさか自分があのような思想に召天の時まで動かされるに至るとは,イエスに出会うまで考えもしなかったろう.私もまた,この小論に思想を組み込むのは,若き日の軽率な行為から始まった思索の連綿による.
さて,この小論では,思想の組み立てを,イエスの呼びかけで中風を癒された者に語らしめる.彼は横になったままイエスのところに運ばれ,元気を出しなさい,あなたの罪は赦されると呼びかけられた.その後,律法学者から神への冒涜の罪を指摘されたが,起き上がって床を担ぎ,家に帰りなさい,とイエスに言われた.彼はその通り起き上がって家に帰っていった.
彼は神を冒涜するような過去の行動の軽率さを抱えていた.しかし,彼はイエスにそのまま従った.そして,家路に着くなかで清くなり癒され,思想を持った.いや,持たされた.それは十二弟子たちが持たされたのと同じだ.彼はイエスによって持たされたその思想によって大きく変わった.ただ,彼は十二弟子には数えられなかった.イエスにより癒やされたことは弟子の条件ではないことになる.その後の彼に,小論を語ってもらう形式を採りたいと思う.
軽率さを改めたものが思想である.故にこの小論は私が自身の軽率さを悔い改めたものとなる.この思想の表明によって,その軽率さが雪がれ,神の恵みにより罪が清められんことを願っている.
* * *
ナザレのイエスのことを話そうと思う.おれはあの日イエスに声をかけられた男だ.そのときのことも含めて,しばし付き合ってもらうよ.
おれはマカエルスという街に生まれた.父は大工,母は湖でとれた塩を時々売りに出ていた.おれも大工仕事を少しの間手伝っていたんだ.父はエルサレムの副宮殿にばかでかい石を据える基礎工事に参加したとよく自慢していたよ.おれはそんな話を聞かされて育ち,15歳のとき大工の見習いとして,プールのレンガを作る仕事をさせてもらった.その現場は,王の設計した壮大な宮殿の予定地で,アーチ橋や劇場,絵画を飾った石造りの広間など,それはもう見たこともない計画だったな.おれはその土地の中に造る広いプールのレンガを作っていたのさ.裏にある砂漠から砂を運んできて,それを固めて焼くんだが,なかなか単調な作業でね.単純なことは得意だったから,だんだん好きになってきて,仲間内では一番評価されたな.
その王は有能な人物だったよ.飢饉で苦しんでいる人には穀物を寄付したり,川が氾濫したらそこをしばらく農地にして,住民には別の場所に住居を建てて住まわせていた.対応が早くて,慕う人も多かったし,芸術家や技術者たちが一目会いたいと集まってきたね.王には建築家の才覚があったことは確かだよ.ただ,いつだったか奥さんを殺してしまってから破滅的な性格に変わってしまってね.奥さんのことをとても気に病んで,何ヶ月も眠れずに悩み続けたそうだ.というのも,その王が出世する前に奥さんの弟さんをプールで水死させたらしいんだ.この殺人が自分が出世できたきっかけになったそうだけど,奥さんから何か言われたのか,奥さんが嫌になって殺してしまった.でも,王は奥さんをとても愛していたそうで,ずっと後悔しているうちに頭も心もおかしくなってしまったようだ.
おれはそんな王の噂を聞いた時,なんでそんなに愛する人を殺して,それを悔やむようなことをしたんだろうと,若いなりに悩んだね.当時の最も刺激的なニュースだったから,街中で広まって皆で噂していたな.奥さんの弟さんが殺されたのがプールだって聞いてからは,おれの作っているのもプールなのか,ってだんだん気が重くなってきたね.まあでも仕事自体は充実していたし,それなりにいい生活もできていて,特に不満もなく働いていたよ.
でも,16歳の夏だったかな,突然おれ家出したんだよ.街から離れ去るようにして皆の前からふっと消えたんだ.なんでそんなまねをしたのか,それがよく思い出せなくてね.きっと感覚的な理由だったんだろうな.そのままエルサレムまで3日かけて歩いて行った.そこでいろんな建造物を見て回ったのを覚えている.父が工事したという大きな石の上にできていた宮殿も,中には入れなかったけど覗いた.すごい仕事したんだなと思ったよ.あと街中を探索したな.流行っていた服とか食べ物とか,綺麗なものもいろいろ売っていて,絵描きや芸人のいる公園にはよく滞在したな.なんか儚かった.全てが一時的なもののように感じた.お店で小物を作る仕事に就いて生活費を稼いでいたけど,だんだん作るアイデアも出なくなって,なにかする気も失せていって,ついに20歳の時に,ローマの公安に捕まっちまったんだ.
といっても,消防隊の巡回だったんだろうな,おれが道端の背の高いオリーブの木に街で買ったリネンの紐を結えつけておれは首を括ったんだ.当然,おれの体の重さで1分と持たず切れてしまって,おれは息がほぼ絶えたまま朦朧とした状態で落っこちた.そうしたら,なんか遠くのほうから男の声が聞こえたんだ.そこからはあまり覚えていない.
気づくと簡易宿泊所みたいな場所で横になっていて,すごく静かで窓から入る風が優しかったな.部屋はとても清潔で,目が覚めて20分くらいだったかすると,優しそうな男が心配そうな笑顔で声をかけてくれた.男のほうを向こうとすると,右半身が痺れてほとんど動かなくてね.自分の名前も言えなかった.おれは左利きでなんでもできたし,絵とか工作が得意だったから,身体がうまく動かなくなっていたのは,その後次第に苦しみに変わっていった.性格も,昔は皆から優しいとよく言われていたけど,その日以来,自分の感情がはっきりとはわからなくなったし,すごく理屈っぽくなったな.そのようにしか思考できなかったし,生きていけなかったから,仕方なく甘んじたよ.
それで,ナザレのイエスのことだろ.あれは忘れないね.生涯忘れない.その宿泊所では男も女らもおれをずっとかわいそうな目で見ていたんだけど,ある日おれをすごい人のところへ連れていきたいと言い出したんだ.おれはずっと部屋で窓の外の光を眺めて過ごしていたから,ほとんど動いていなくて痩せ細っていたんだ.それで,男たちが3人くらいでおれを何枚も厚く重ねたアマ布に乗せて運んでいったんだ.軽々と持ち上げてかなり急いで運ばれていったな.道の路肩に降ろされた時,あのナザレのイエスがおれの傍に座り込んでおれの眼を見つめてきた.そしてしばらくしてイエスは涙をうっすら浮かべて言ったんだ.子よ,元気を出しなさい.あなたの罪は赦される.はっきり覚えているのが,子とまず言われたことだ.おれはこの人の子供だったのか,と疑いもなく信じていたね.元気を出しなさいと言われ,おれの眼からも涙が流れてね.でも,罪が赦されるのはうれしいことだけど,おれの罪ってなんなのかピンともこなかった.そうしたらすぐ,イエスの後ろのほうから立派な服を着た賢そうな男が,おれを見てぼそっと言っているのを聞いてしまった.どうやらこの男は,おれが神を汚したことがある,と言ったようだった.おれには思い当たるところがあった.おれが人を殺そうとしたことだ.おれが殺そうとした人を,おれはまだ許していない.殺されようとしていた人も,今もおれを許していない.そして,そのおれが殺そうとした人も,おれによって殺されようとした人も,おれ.おれ自身なんだ.おれは,おれを殺そうとしたおれを許していない.そして,おれに殺されようとしていたおれも,許していないんだ.
ナザレのイエスは少し考えて,なぜ心の中で悪いことを考えているのか,と確かに言った.これはその偉そうな男も心を見抜かれたと思ったようで目を大きく見開いていたな.そしてこの言葉はおれにも突き刺さった.どうしておれは,おれを殺そうとしたおれも,おれに殺されようとしていたおれも,許していないんだろうかと.でも,わからなかった.そして,イエスは続けて,あなたの罪は赦されると言うのと,起きて歩けと言うのと,どちらが易しいか.と言っていた.これはこの時はわからなかった.というのは,その次に,人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう.と言った後,もう一度おれの傍にしゃがみこんで,落ち着いた優しい声で,起き上がって床を担ぎ,家に帰りなさい,と静かに呼びかけてくれたんだ.おれはイエスのその姿も声も言葉もずっと覚えている.心がほっと温かくなり,全身に血が巡ってきた感じがした.おれって生きているんだと心から思えた.もうなんというか,これがおれの人生だったのかと目が覚めて,身体が自然に素直に動いたんだ.上半身を起こしたら,イエスが口元に笑みを浮かべて涙で溢れた目でおれににっこり微笑んでくれた.おれはもう恥ずかしくなって,両眼に溢れる涙をイエスに隠すようにして立ち上がり,エルサレムの街のほうへ1人で歩いて行った.まっすぐは歩けなかった.運んでくれた男の1人がアマ布を持って付き添ってくれて,無事宿屋まで到着するやいなや,おれは玄関先で泣き崩れてしまった.
それからその晩も次の晩も,しばらくずっと考えていた.あなたの罪は赦されると言うのと,起きて歩けと言うのと,どちらが易しいか.とはどういう意味なのかと.初めは,イエス自身がそれを言うにはどちらがイエスにとって簡単なことか,という意味だと思った.でも,そう考えると,なぜ簡単なほうを後で言ったのか,見当もつかなかった.それで数日後の夕方だったかな,イエスの微笑みが忘れられなくて,窓辺の夕日をぼうっと眺めて涙を流している時,宿屋の女たちがなにやら騒いでいて,どうやらイエスが近所の丘の上で磔にされて死んでしまったということを聞いた.悲しんでいた女も多かった.なんで死んだのか聞く元気もなく,考えられる限り考えを巡らせているうち,そうか,イエスはおれのことを思って,おれにとって簡単なのはどちらだと思うか,とあの偉そうな男らの前で問うていたのだと気づいたんだ.はっとした.あの偉そうな男はおれを訝しむだけだったが,イエスはおれに罪を思い起こさせないで,ただ起きて歩きなさいと優しく微笑むほうを選んでくれたんだ.おれはその時の偉そうな男の表情まで見る余裕はなかったけど,きっとおれと似て自分を恥じただろうと思う.おれも優しい少年だったが,イエスほど優しい人には今まで会ったことがない.おれはその時,イエスが死んでしまったことを知って思わず悲しんだ.その晩は早く寝て,とても深く眠った.夢も見た.オリーブの木にかけた紐にイエスが自分から首を括って,微笑んだまま死んでいった夢だ.紐をかけたのはおれだと思った時,目が覚めて昼に近い時間だった.
その午後はずっと,罪が赦される,という言葉が頭を巡った.心の中を占めている悪いこと,つまり,なぜおれは,おれを殺そうとしたおれも,おれに殺されようとしていたおれも,許していないんだろうかと.それが赦されるとしたらどんなことになるのだろうかと.その時,遅い昼食を運んでくれた女が,涙を浮かべて俯いておれの元を去ろうとしたので,言葉にならない声でどうしたのと声をかけた.すると,その女は弱く震えた声で,イエスが死んだのは私たちが殺したからなの,と言い残して厨房へ戻った.イエスをおれたちが殺したのか.それっておれたちは人殺しってことか.おれの心は複雑な思いにとらわれた.
それから3日後の晩,夕食を持ってきてくれた女がなにやら目を輝かせておれに話しかけてくれた.イエスがよみがえったと言っていた.どうやら日中街の噂になっていたらしかった.確かに厨房に顔を向けると,女たちが見たこともない表情で,信じられないほど強烈な感動を語り合っているように見えた.おれたちが殺したイエス.罪が赦されると声をかけてくれたイエス.そのイエスは自身に起きた殺人によるおれたちの罪を赦した.そうすぐにわかった.でも,それってどういうことか.どう受け止めたらいいか.わからなくなってしまった.おれが殺そうとしたおれを,おれは許していない.殺されようとしていたおれも,おれを許していない.殺人ってそういう罪なんだと思っていた.でも,イエスは赦した.おれたちはイエスを殺してもよかったのか.
正直に言えば,おれは今もイエスを許していない.なぜイエスはほいほいと殺されたのか.自ら十字架を担いで丘を上っていたらしいし,自ら殺されようと考えていた.これがおれの思い違いだといいのだが,おれにはそうとしか考えることができない.イエスがおれを悩ませるのは,イエスが人々を赦したことのためでなく,おれがイエスを許せないからなのだ.殺されようとした人は殺した人にどれほどの苦痛と悩みを与え続けるものか知っているのだろうか.知っているのならそこに生前の恨みや憎しみを感じる.また,殺した人には殺された人を殺しただけの感情があったろう.殺された人は殺した人を許しているかどうかわかるものではない.でも,イエスは赦した.ただ,殺された人の中には,殺した人を許す人もいると思う.もしおれが今後殺されても,おれを殺した人をおれは許すだろう.おれは殺されるだけのことをした罪深い人だから.でも,おれを殺した人はおれに許されてもその苦しみや悩みから解放されることなどあるだろうか.ないと思う.おれは生涯の苦しみを与えてしまう.おれは許すというのに.
似たようなことをイエスに見てしまう.イエスを殺したおれは,イエスを殺したことをずっと悲しむ.おれの手も口も頭も震える.それから毎日涙を流してうつろに過ごしているが,いつまでも涙は枯れない.イエスはなぜ自分から殺されようとしたんだよ.もう一度言っておく:おれが殺そうとした人を,おれは許していない.殺されようとしていた人も,おれを許していない.イエスが次元の違う,神らしさを持つ存在だと思わなければ,おれはこれからやっていけない.もしそう思えたとしても,おれとおれとの関係が自分で情けなさすぎてやはり生きていられない.
おれは決めたんだ.ここまで話して,おれはおれを許せないおれが許せない.どうしても許せないんだよ.イエスがおれの罪,おれを殺そうとした罪とおれに殺されようとしたおれの罪を,きれいさっぱりに赦してくれるとしても,おれはおれが許せないんだ.だから,おれはもう一度イエスと出会ったあの路傍の木の下にアマ布を敷いて,そこで死ぬことに決めている.実は,あのとき公安の人が声をかけてくれた場所,つまりおれが紐で首を括って落っこちたオリーブの木が立っていた場所が,この場所なんだ.すごい偶然だよ.おれはイエスのかけてくれた言葉が忘れられない.床を担げって言葉だ.おれはあのとき泣いている顔をイエスに隠したくて床を担ぐことを忘れて立ち去ってしまった.でも,噂によると,イエスは自分が磔になる十字架を自分で担いで丘を登ったそうじゃないか.イエスが担いだ十字架に重ねて,おれはアマ布の床を担いで木の下まで歩く.そして,イエスが十字架上で死んだように,おれはアマ布の上で死ぬ.おれはそう決めた.
明日は晴れるそうだし,風も穏やからしいな.痩せ細ったおれの身体でも歩いて12〜3分の場所だよ.イエスの死んだ丘から見えるあのオリーブの木の下で,イエスのあの忘れられない微笑みとあの優しい声を思い浮かべながら,おれは路傍でそっと静かに死ぬ.そうだな,思い浮かべているうちにおれは自分を許せるのかもしれないし,やっぱり許せないかもしれない.それはわからない.イエスに声をかけられたことはおれの人生の最高の思い出になった.でも,おれの罪が赦されても,おれがおれを許せるかどうかは別のことなんだ.おれは頑ななんだろうな.神を一度でも汚してしまった人は,自分を許すことが難しくなるんだ.人の子イエスに赦されたとしてもな.だからおれは神をそれほど信じられないのかもしれない.神を汚した罪は続くものさ.心が素直で純粋なほどね.君もどうか気をつけて過ごしてくれたまえ.今日はどうもありがとう.願わくば,明日の夜が明けても,おれをあの場所でそっとしておいてくれ.おれの表情でわかるだろうから.まなじりの下を涙が伝っていたらきっとおれはおれを許せたんだと思ってくれ.世話になった皆さまによろしく.それではな.
その後の彼についてはこう伝えられております。
以上のように伝えられておりますが、ご存知のとおり、オリバーの名は聖書には残っていません。
おわり