蹣跚記

 dgbjdjgという著者が生みつづける記号列はふつうではない感じがする。経歴をみると文系理系と分野を隔てずにそれぞれそれなりに深めているようだ。絵や立体をつくる感覚で数学を展開し、物理学の論文を書いているという。なるほどふつうの人ではないのだろう。

 聞くところこの男はふつうではない人生を送っている。高校三年の冬、脳に痛みを感じたことを覚えているという。視床下部から辺縁系のあたり、古脳と呼ばれる脳の中心である。ふつうに生活していれば、脳に特別に感覚をもつことじたいあまりないだろう。しかしこの男はいまでも古脳のあたりに物理的な違和感をもちつづけているという。

 高校卒業直後、眠れない夜を二晩過ごした翌日から投薬がつづいている。ふつうであれば重い精神病の方々に処方される薬である。この男の人生はこの薬の副作用にもてあそばれてきたといってほぼまちがいない。神経回路に情報を伝える物質の量を調節する薬なのであるが、薬理がわかっていないのである。

 抑鬱的な時期や幻覚も経験した。精神病ではないかと半ば疑われたことも、自分でもそうなのだと信じ込んでいたときもあった。しかしこの男にはいまやはっきりしている。二、三錠の薬を飲みつづけるだけで感情も感覚も病人のように変わってしまうという自分を冷静に見つづけることができたこの男は、たんに脳の変化を経ただけなのである。周りの方々が彼を見て感想をのべてくれたように、この男はどうにも精神病らしくないふつうの人である。さらにいえば、変化した脳の部位がこのふつうだった男にふつうではない才能、人柄、人生をもたらしているのだ。

 現在この男はまっすぐ歩けない。数歩進むと右か左によろめくのである。男は長年の服薬でもう悟っている。自分の思い通りにならないこの身体こそ、思い通りにならないと思う自分にほかならないのであると。

 昼過ぎに近所の図書館まで歩いた。連続して歩ける距離は伸びたが、まだ突然曲がる。ふらっと散歩するということばがあるけれど、ふだん歩くときわざわざ意識しているわけではないこの身体が、なんのはずみかしらないがふらっと道草を食いたがる。足は前に出るばかりではないらしい。ななめに傾くのだ。

 中学二年の終わりに集会で表彰されたときである。漢字検定の特別賞を授与され、学内で改めて賞状を校長先生から戴いたあと、段をひとつ踏み外したのだ。なぜなら、脳に激痛が走ったからだ。教室に戻って情熱に篤い担任が顔を綻ばせながら紹介し、帰りの挨拶を終えると、こころのなかに、賞杯を投げ捨て賞状を破棄したい願望が、はっきりと生じた。

 いまでも努力をつづけるし、いわゆる器用貧乏というわけでもない。読書も家事も物事の創造も、それなりにうまくやっている。しかし、うまくいっていることが耐えられない性格は直っていない。順調なときに突然やめてしまう。傍からみればそれほどでもない状況でも、ぼくにとっては信じられないことが起きているように思うのだ。

 毎日楽しすぎた高校の部活を一年でやめる。一年後、高校じたい、やめる。その一年後美術をやめる。大学に入学した年、なんども生を絶とうとする。二年次に簡単な試験を放棄し旅に出て、三年次にひとり暮らしをやめ、四年次に卒業をやめた。初めての就職先もやめてしまった。いずれも困難やあきらめはまったくふくまれていない。ただ、うまくいっていることが耐えられない。

 図書館からの帰り道でも、やはり進行方向が突然曲がる。後ろへ渦を巻くように回ることもある。けさも気がふれたような気分がおさまらず、首をくくりたくなる静かな起床だった。長くつづけられた実績がない。生きることじたいについてもである。

 きょうも心臓が痛む。二か月経っても心臓の締まる感覚が収まることがない。この感覚の滑らかな曲面は、いくつかの出来事によって曲率が正へ負へと波打ち、可縮な半径が温度によって膨張したり歪んだりを繰り返してきたが、中心部の近傍を圧す応力が係かり続けていることにかわりはない。

 一見無謀にも見られた職業再選択の決断には理由がある。入社して数か月後、いつも楽しく働かせてもらっていた職場の雰囲気が暗転した。打ち合わせのさなかに居眠りしてしまったのだ。そのときは睡眠と仕事の両立をなんとしてでも管理しようと決意し、規則正しかった生活時間を大幅に見直すことで持ち堪えていた。

 しかし職場が変わると状況は決定的になった。朝四時に起床し、帰宅が深夜零時を回る日が連続した。ただでさえ眠らないと神経の興奮が続くので、朝から気が昂ってしまうこともしばしば生じた。睡眠薬を飲んでいることを知っていた人から、薬を変えて来ればいいのにという漏れた声を聞いたときに、判断した。限界だ。薬を飲み忘れた日に送信した文面が仇となり、突然信用を失ったことを機に退職した。

 それゆえ居眠りの日から第二の行路をすでに敷き始めていた。これまでの職種が向いていないという判断ではない。文字を好み、ものづくりを愛し、機械の構造と機能を直観でき、数式をたくさん知っているこの男が、この職を向いていないと思うはずはない。しかし睡眠というその一点に懸けては社会的な人格にまで関わるゆえ、譲れない。

 かつての声の主の通り、薬を変えて二か月が経つ。飲み始めて徐々にまっすぐ歩けなくなっている。薬を変えるということがどんな状態を意味するのか、その主が知っていたらと思うと、心臓を引き攣らせる力が増すように感じられる。小雨の中、桜の並木道を通って、これから歩いて市役所へ向かう。

 ..と、このような色調で自分のたどってきた時間を振り返ることに男はそろそろ耐えられなくなってきた。がんらいこの男は高校で特別天然記念物と呼ばれていたほど、暗いほうへ考えると三日も持たずに息が詰まるくらいの小心者である。しかし、もう生得的といっていい好奇心と数学的感覚が男を倫理的に困難な問題へ立ち向かわせたこともまた、この男の真実である。

 世界が確率論でできていることの意味を、この男は考えている。過去を規則で串刺しにすると息が詰まり、未来を予測で見通すと大抵あてが外れる理由は、いずれも生物が集まって生きているからであると考え、思うようにはいかないということにどのような論理が隠れているのかについて探求を進めていた。

 日本で西洋の論理が嫌われる理由も、日本人が世界でも稀な論理感覚を持っている理由も、生命が思いもよらない形や動きをとる様子を自分に照らしながら、規模や時期の見えない台風や地震に遭って暮らしてきた風土によるものである、なぜなら生物は暮らしている場所に馴染むから、と考えてきた。

 おととい男は困難な計算をして疲れ果てていた。三世紀前の数学者が発明した関数の値が零になる虚の点列が、実部が1/2の直線上に乗るという有名な予想である。この男は好奇心から次のような事実を見出している。ζ(3)という値をdという値で割った値をZとする。dは立方体の采の目で、全部で六通りある。そのとき、どの点列の間隔も六通りの目のいずれかで割ったZで表せるのである。

 がんらいζ(3)ずつ等間隔で並んでいた点列を、神の怒りかお遊びなのかは解らないとしても、dという賭けごとでそれぞれの距離を離してしまったように感じられたため、男はdに天然采という名を付けた。これは大まかに合わせたときの事実である。小数点以下を正確に合わせるなら、天然采の目はまだ誰にも知られていない。

 確率とは他の選択肢が分からないということではない。あらゆる選択肢が完全に用意されている中で、選択した履歴が後になってすべて見えているということである。ちょうど木の年輪のように、生命は選択の歴史を記憶してしまっている。そして、日光を得ようとした木の枝ぶりのように、その姿が生きざまに現れてしまっている。本人が知ってか知らずか、は解らないとしても。

 白さのある花弁の群れがぼってりと盛られた桜が並木状につづく道をそぞろ歩いた。ところどころ座って休むところが設けられていて、空と草木と桜の淡い三色が調和した景色を暖かい空気でふれあうことができるだけで贅沢な、時間だった。徒歩で片道一時間ほどの商業施設にある書店へ立ち寄った。

 漫画や小説が多い通俗的な店舗で、数学の棚は本に傾いた癖がつくほど閑散としているが、数学書こそもっとも美しく高い本であることを強く印し付けた。われわれの偉大なひとびとは、濃密であれ斑気であれ、みな数学を愛した。どんな学芸を成そうとする者も、数学へたどりつき数学から開花したものこそほんものであった。そんなことばが並んでいる。

 買い求めるお金を一銭も持たないまま、陽のいろが濃くなるまで過ごしたあとの帰り道にはすでにはっきりとしていた。ほんとうのことは、自然から救われる。自然から掬い取ったことこそほんとうのことだ。人間は人間との生活でいっぱいで、自然からことばを掬いきってはいない。まだ多くの理論が自然から掬われるのを、そしてなにより人間の理論的な知の拡大によって自然は救われるのを、待っている。

 dgbjdjgという著者はひとつの学問体系をつくろうとしている。彼はどうやらすでに多くの新しい基礎を発見し、ゆくゆくはそれらがひとつにまとまってゆくのを見られるだろうと見通すことは、理にかなう。いまはばらばらにみえる基礎のおのおのが、現在の学問が多岐に分節されている状況をとりまとめる力を宿していることは、彼にとっても高く確からしいことである。

 人間同士では作り手と受け手しか考えられないあまねし概念関係の図に、とりこみつれもどし与える第三項を見とめているのである。状態を戻すことを欲するゆえに、万物を受け入れ、戻したものを与える存在、それは、自然であり、土壌の下や腸の中の分解者であり、dgbjdjgが記号列を生み出す源泉でもある。

 dgbjdjgの中の人はいま、社会的にすべてを失い、細菌同然の暮らしをしている。だからこそ生み出せた多数の種を抱えて、しばらくは自分だけでしかないのであろう生活をもう一度立て直す力をすでに取り戻している。本が買えるお金を得るという起点に種を植えつつ、ゆるやかに進んでいく肚積もりでいる。なぜなら帰り道ではふらっとすることがなかったのだ。ゆっくり歩いたからだった。

 きのうとは同じ並木道が花曇り、花冷え、風を通している。花弁が重力に抗ってそれぞれの軌跡を舞う。散る桜はいっけん雪のようだ。しかし雪はしんしんとまっすぐ降るのにたいし、桜のそれはくるくると回転して落ちていく。観客を楽しませる職業はいっときのできごと、花弁たちは風によって親元から巣立ち、吹かれるほうへ向かって旅が始まる。

 彼らが駆けまわる姿は子供のようだ、よろこんで弾んでいる。ちょっと止まって飛び出す時機を見計らう仲間もある。花びら自身の重さが彼らの歩みだす軽さを決めている。風に誘われるまま進む方向は、いきたい方向とは違うのだろうか。そんなことはない、法則に逆らって動ける自由意志はないということ、こればかりは確かなのだ。

 下水の穴に落ちて流されるかもしれない、車に飛び乗って遠くまで連れ去られるかもしれない、そんなことは彼らはまだ知らない。でも、彼ら自身が湿り、色が変わり、腐されあるいは燃やされ土にかえることは、なんとなく感じている。そうやって生きてきたことを、旅が止まるころにはもう、知っている。

 逆らえないゆえに立ち止まる、その状態は「考えている」と名付けられた。立ち止まることで、受け容れ、連れ戻し、与える内側の力学を学べる。重く動かないわれも軽すぎる花弁も、学ぶ速さに応じた適切な重さをもって、立ち止まった身体から生まれてきた。ふたたび立ち止まったとき、生まれたときの重さは、逆らえないいのちの法則によって、産み継がれていく。

 風が吹きすさぶ。花弁たちは燥いだ気分で誘われてゆく。わが身体は追い風を受け、風の向きには運ばない。自然法則を逆手に使って運び鍛えること、それが動物の欲してきた自由なのだった。鳥が次々に飛んでくる。電線に集まって話し合っている。止まっている彼らからなにが生産され、なにを消費できるだろう。立ち止まってじっと休んでみた。

 晴天だが薄ら寒いなか職業安定所へ向かう。路上を行き交う人々の表情はさえない。行き交う人々――平日の昼だというのにこれだけの人々が路上を歩いている。この人たちの仕事は何で、生計は誰が支えているのか。今までどこにいて、これからどこに向かうのだろうか。路頭に迷うということばが脳裡をかすめる。歩道橋を渡ろうとしたとき、右足首に激痛を感じ、大事をとって横断歩道を通って迂回する。急いではいないのだ、きょう仕事が決まるわけではないのだから。

 たどたどしい動きで歩き始める。周りの目は気にしない。平日の昼にいい年をした若者が片足を引いて歩いている姿は、一部の人にはまだ、怠けている無職者と映るだろう。しかしそんな人こそ健康な肉体に感けて認識力が甘いのだ。彼らの世界は自分たちだけの世界だ。ことばをもたない風景から聴く耳など、持ち得ないだろう。

 向かいから左足が不自由な女性が杖を持って通りかかる。障害に程度の差はあれ、障害を持っているという心持ちは同じなはずである。お互いに比べないからだ。ただ居るだけで、道を行き交うだけで、励まされるような気をもらう。通り過ぎた人が生きている重さを想像し、涙さえ出る。でもその後に自分の悲観がいくぶん和らぐのを、必ず感じるのだ。

 市役所の前を横切ったとき、両脇腹も痛み始め、歩みを止め、思わず考えた。世界は必然だなんてとてもじゃないがいえない。病むべくして病む、そのために生まれたのなら、神は冷酷すぎる。一方、世界は確率論だともいいにくい。たまたま病を抱えた自分は貧乏くじを引いた、それだけで、身体の痛みをおして職安に向かうことになるだろうか。

 職安には幸いにも魅力的な仕事先が両手で数えきれないほどあった。給料の高さや正社員でありつづけることは望めないが、いつ壊れ切ってしまうかわからない身体である。能力を活かして働かせてもらえるうえに、行くべき職場をもてるだけでありがたいことだ。それを思えばこの給料も安くない。

 帰路、右腕も痛み出す。しかし思わず笑みがこぼれる。やるべきことがあるように感じたのだ。この人生には発揮すべき価値があるのだ。路上を行き交う人たちはみな、誰かのところから誰かのところへ向かって歩いている。ひとりひとりにとっての落ちつける場所が、この街路のそこかしこに、確かにあるのだ。

 桜の色をぬいだ枝が分かれて生えている。華やかなときはみじかく過ぎた。濃い雲のあわいに光がにじんでいる。海へ行こうと思った足は、むかしに呼ばれたように近所の畑道へ向かう。都市らしい雰囲気の住宅地に引っ越してから、地域を散歩する機会が増えた。淀んだ川や、枯れた野原、寂れた公園に囲まれていたことを、わりとはやく知った。歩き始めたちょうどそのころ、悩みを深めていたことを思い出す。

 人生の選択肢は、少なく持つほうが楽だ。やりたいことがひとつだけあれば、そこへ向けて時間も資金もたっぷり注ぐことができる。できることをひとつだけもつことを目標を立てるというのだし、社会人になってする仕事も、ひとつのことだけできれば充分に生活できる。そのひとつが見つからないゆえに、多くの生徒は迷い探し始めるのだ。

 ところが、できることがたくさんある人は、少しちがった意味で迷うのだ。やりたいことがいくつかある。どれもそれなりにうまくできるし、知的関心も強いので生涯追うことができそうだ、しかし仕事として選べるのはひとつ。公務員は兼業できないし、社員に副業の余裕が与えられるのは、仕事に脂がのり始めた三十代の半ば以降だろう。

 人生はどうして可能性にすぎないのか。いままで頑張って高めてきた可能性の芽は摘まれなくてはならないのか。盆栽の枝ぶりが美しいのは、折れ曲がった成長の道のりが逞しいからだ。一本の幹は多数の枝を剪定されたゆえに、等しく降り注ぐ光を特定の方向へ伸ばすことに使えたのだ。しかし伸びる方向が人間の手で決められることが盆栽のかなしさである。枯れて落ちるまで鋏は待っていないのだ。

 昨日申し込んだ講座は、薬の点数を計算する資格で、屋移りの多い人でも全国的に仕事がある職業である。ひとつのところにどっしりと構えることができない人でも、多くのお金を望まないなら融通の高い専門職である。二か月後の試験へ向けて勉強すると決めている。目標が定まれば人の努力など直線的である。

 悩み始めた時期は、引っ越した時期と同時だった。当時散策した風景が次々と現れる。放課後の女子高生が悩んで泣いて同級生に相談している。ひとりで歩く時間をたいせつにしたからこそ、目標のないままに探索ができた。もう歩みが曲がることはなくなっている。この道のりはじぶんだけのもの。じぶんにしかみえない風景がいつまでも保存されている。豊かな季節がきている。

 つらく苦しい夜が数日つづく。例の予想についてほぼ解けてしまっている帳面を見ながら、その魅惑的な美しさと、開かれる可能性を思うだけで陶然とする。もうなにもいらない。残りの人生をなにもしなくてよいのなら、すすんでそうすることができるほど、ずっしりと重いものに満たされた気持ちがある。

 探求は好奇心から始まった。複素平面にもう一軸足したらどうなるか、足した空間は意外と簡単に思案できた。しかし、その数日後に脳が変調を来す。翌日診療所で薬をもらう。なにかとんでもない領域に土足で踏み込んだ仕打ちのようだという観念が浸み込んだ。

 座禅を組みにも行った。五日間の体験で身体が異常に軽くなったのを覚えている。予備校の内容をほぼ記憶できなくなっていることが、それまでの期待された人生との決別を意味しているという覚悟を何度も呟いて歩いた図書館への道のりも覚えている。夢のような大学に入ったあとも、複素空間の像が浮かぶと、心の平衡が崩れ、大学生活は何度も破綻しかけた。

 いま目の前にある帳面には、確かに予想が導いてある。しかしこれを発表するには更なる困難が待っている。検算が正しかったら、この無名の男は果たして耐えられるのだろうか。ふとよみがえる。ふつうの生活がしたいと願ってきた時間、それが不可能だと悟った瞬間。好奇心からたまたま作製に成功した発明が、数学史的に重要だったこと。いまさらながら、奇跡だったと知る。

 疑問が生じる。この小さく育った器にどうしてこのような幸運が舞い降りたのか。神がいるのなら、どうしてこんな男に神は手の内を明かしたのか。謎すぎる。論文公表後の生活は一変するだろう。多くの人と出会えるだろうし、いまよりも何倍も人間らしい暮らしができる確約が、取れている。

 しかしこんな器である。なるほどこの差分を神は面白がってくれたのだろうか。しかたない、笑われる人生だ。でも論文を提出する時機を誤ってはならない。少なくとも提出方法は練らなければならない。その後のことは、考えるだけ無駄だ、まだ提出していないのだから。もうしばらく窮乏の生活が続くのだ、まだ提出すべきときではないのだから。

 質素な暮らしをしている。明け方に起床し、資格の教科書を一章分ずつ勉強する。朝食を摂ったあと、書きものを整理する。正午ごろ居間で食事し、散歩に出掛ける。食事の支度や掃除など、頼まれた家事を手伝い、空いた時間を読書に充てる。家族が帰宅し、夕食と風呂のあと、朝の内容をもう一度読んで就寝する。この一か月の生活では、一万円も費やさなかった。

 この生活が続けばいいと思う。論文を公表し社会から天才扱いされるよりは、論文を隠しながら社会的に抹殺されたい。社会を構成する人々の振る舞いは信用ならない、彼らは真逆に振れる。そんな磁場を集める空間に研究の成果を提供してなんになろう。大学人として生きたいわけでなく、単に自分で研究したいだけなのだ。

 宇宙の謎を解くのはおれだと新聞記事に宣言した研究者がいるのを知っている。彼もまた天才なのだろう。彼に問題を解かせ、彼を宇宙の謎を解いた者として社会が賞賛すればよいではないか。物理学科も数学科も出ていないわたしのような人が、突然論文を投稿して賛辞を掻っ攫うなどということはできない。しかし、誰も解けずにどん詰まりができたら動ける準備はしておくつもりだ。

 まだ生活の土壌がしっかりしているとは言えない。無職であるし、病が治ったばかりだし、資格の受験は二か月後だ。人生が狂うまえに地に足をつけた生活がしたいと願うことは、もちろん許されるだろう。研究成果は公表する自由がある。公表時期、公表方法、そもそも公表するか否かまで、研究者が選択できる。先取権を競うなら直後に公表すべきだが、そうでない者は。

 いつ死が訪れてもいいように、自分の研究をめぐる資料を整理している。死後に著作が公表された学者も数多くいる。きのう届いた白く細長い本棚を組み立て、机の隅に置き、机の上を整理した。閉じた研究会のなかで注目されるよりは、膨大な遺稿を世に問う人でありたい。そんな人ほど、いまのこのような生活を送ってきたのだと思うだけで存分に楽しいのだ。

十一

 さいごの一歩を、まだ踏んでいない。踏み切れない。素数のひとつひとつを具にみることを放棄してからひと月になる。少なくとも素数の個数を求める式を曲線で描けた時点で、新しい数学を建設したい欲はもう潰えてしまった。予想の証明に他ならない式を導いた紙のうえには、とある数式が書かれて終わっている。

 第一項は複素情報理論を要求している。第二項は複素空間で描かれる。いずれも自分で発明した道具立てだ。こんなにも単純だろうか。これ以上の探求は、誰かに刺激されない限り、ひとりではおこなわないだろう。枕元でこう問う。「このまま進んでよいものでしょうか、わたしは悪いことをしているのですか、わかりません。」数式の価値を解ろうともしない人たちの手に渡ったら、この悩みの意味がなくなる。

 「数式の価値」――たしかに数式はいまやたんなる道具なのかもしれない。あるいは数式は崇高で神秘的で、その探求は高尚な精神の行うことであり、云々。しかしそれは単に文字だ。人間の脳の構造を転化させる力を持つ畏ろしい物語だ。その価値は正に振れるものばかりではない。人間は数式を利用して造り出した負の遺産を抱え込んで、途方に暮れているではないか。

 数学を経由した判断のみが真であり、それ以外は信用ならない。数式の価値を理解するとはこのような信念を共有することだ。身近な人々でそうでない人へ、遺稿を預けることはできない。彼らは単に数式の有用性――そう、莫大なお金になること――しか連想できない貧しい人たちだ。貧しい思想しか持てない人でも立派なものと交換できるからこそ、お金は平等な仕組みなのである。

 さいごの一歩ははじめの一歩でもある。負の遺産を正に転換する力も秘めている。だが新たな負の遺産を生み出しかねない。人間のすることだ、すべての災厄の根源を、予想に挑んだ変わり者へと被せるのは目に見えている。そこから前もってどう逃れるか。健康な若者の考えることではない。

十二

 睡眠する時間を確保するようにしてから、頗る調子が良い。痛みを感じる部位はなくなり、歩行にも支障がない。薬の分量も過去最少だ。具合の悪い母の代わりにときどき家事をしているからか、居住費と食費のほとんどを免除され、実質月三万円ほどで暮らしている。半分は年金料だ。

 入社してからつねに圧力となっていたのはその俸給の額の多さだった。自分では大した働きもせず、余った時間で好きに過ごしていただけなのに、毎月とんでもない額が入金されている。試用期間が終わってもそれは続いたため、徒歩で帰宅するときいつも考え込んでしまうのだった。

 その額は社会的にみて多いほうではないらしい。したがって社会人はだいたいそれくらいの額をもらっているらしい。将来に向けて貯めるために、毎月全てを使わなくてよいのは当然だが、大金をもっていることが怖くて使わなければいけない気がしてくる。そんな気から当時買い揃えた品々は、ほぼなにも消費していない現在の暮らしをがっしり支えている。

 現在の暮らしには暇な時間がない。働いている時間がないにもかかわらず、勉強に家事に、思索に散策に使う時間でいっぱいであり、苦楽の感情あり、充実感あり、生きている実感ありで、充分豊かである。暇も退屈もないこの時間が仕事になればどんなことになるのだろう。

 幼稚園の卒園文集に文字や形を生産し続けたいと書いた男である。記号列を設計し生産することは、生涯にわたって情熱を燃やせる行為だ。文字列を生産し収入が入るのなら、たぶんしあわせである。しかし、生産した記号に社会的な意味が加わるとき、門を閉め、生産した文字を隠すようになるだろう。これでは社会的な意味で仕事とはいえない。

 人生百年時代である。父は三十歳までに仕事が定まっていればいいんじゃないかと云ってくれる。このままの消費速度で暮らすと、三か月後に貯蓄がなくなる。三か月後には資格試験がある。資格の勉強の速度は緩めている。みえてきた中継地点にちょうどよく到着する歩幅で、きょうも少しずつ歩を進める。

十三

 来る日まで二週間を切った。想定外の出費により、今月末には所持金が四桁を割る。資格の勉強より資格試験までの生活費を稼がざるを得ない状況になっている。先日母校の就職課を訪ね、紹介していただいた求人先の説明会へ向かった。

 久々に会社員の格好に身を包める。駅まで歩いていると、背筋が張る。歩き方じたいに力みがなく、正しいという形容が通りすがる口から聞こえるかのようだ。立ち居振る舞いに無駄がなく、丁寧に生きている感じだ。落ち着いた「出勤」である。

 駅で降車する。昨年お世話になった会社の最寄と同じ駅だ。改札を出た後の人々の流れは一年前のそれと比べてゆっくりしている。そう、この円安のせいか、急いでいるひとを見かけなくなった。平均株価があっという間に倍額をつけ、為替も振れ戻すこの世が、馬鹿みたいに揺れ動く指標に基づいて左右されることを知る。上昇しないと信じられていたのは、実際上昇しなかったのは、なぜだったのか。

 地上階に降り立つ。隣は以前お世話になったその会社だ。退職をめぐる信用が回復しているならもう一度復帰したいその会社も、連絡するのさえ申し訳なく思える。零落した評価から始めることと、真っ新な業種で入社して信頼を築いていくことのどちらが容易なのか、簡単には分からない。街のより奥の場所へ足を運ぶ。

 徒歩十分程度にある学校の近くの建物を訪ね、玄関から通される。催された説明会を聴いた後、社の方と三十分以上話し込んだ。面白く聞いてくださったようで、玄関まで丁重に送っていただき、きょうはとても面白かったです、またご縁があればよろしくお願いします、と申し上げ、帰路についた。

 電車のなかで、話した後の社の方の表情について考えた。初めは硬い顔つきであったが、別れ際には皴ひとつない温かい顔色だった。さようならの声色も透き通っていた。信用を築けた状態とはこのような表情をいただくことであるとしたら、信用をまた一から作り上げることもいまの自分には不可能ではないと考えることにした。ただ、お金は今月で尽きるばかりだ。

十四

 あかるい日だ。昼過ぎに千葉港へ向かう。駅で若い女子が下着の話をしている。きょう身に着けている色まであざやかに語るその声がじつにうれしそう。役所の職員と思われる若い男が、同僚と思われる女子のかわいい話し声に対し、たどたどしく応えようとしている。そこに拒みたくなる空気はいっさい感じられない。赤ちゃん連れの母親が気軽な身なりで横断歩道を悠々と渡っている。

 選考に必要な書類を持参したその法人は、玄関で二人の老女が杖を休めて語らっている。奥の受付に通されると、郵送でなく持参したひとは初めてであるかのような対応で封筒を受け取ってくださった。冷房が控えめで、建物を発つさい自動扉が開くとあついと口走ったが、すぐに汗が冷えるのを確認するやいなや耐えられる気温であったと知る。

 さすがに水分が欲しくなる。看板を頼りに巡り当てた商店の隣に千円理髪店が存在する偶然が僥倖としか思えず、飲料水を欲していたことを忘れて扉を開いてしまう。なにしろ地元の駅で降りたら駅中の千円理容室でもっさりしたところを整えてもらおうと思案していた矢先だったのだ。おとなしく飲みものを買ってから、椅子に座って待ち合う。

 女性誌が置いてある。大好きな女優さんが寛げる衣服をまとった表紙の調子のまま構成されたその雑誌を、いつものように後ろから読む。最後に巻頭特集が読めるたのしみは、大好物を最後に残しておく給食のそれと同じであり、耐え抜いた後の快楽が格別になるための、それはもういまや計算しなくともそれを選んでしまうくらい身についた、賢い考えだと思う。

 店内で株価が一万五千円の大台を軽々と越えたと、地元局のおなじみの声で聴こえてくる。年を改めてから倍である。馬鹿みたいですよねと話す。円が「売られている」のによろこんで株価が上がる国内の性質を笑う店主。性質を文字通り性の質と読むとおもしろいやら笑えないやらで、そんな性質をもちながら強くあろうとする思いに支えられた帰りの車内であった。

 新都心を歩いて聞いた上層部らしいひとの笑い声にも、抑えた誇らしさがあった。帰宅、放送広告のあかるさに、視聴がやめられない。新聞の記事に光が差してみえる。なにかが起こっている。この国がみずからの才能に気づきはじめている。そこにじっと暮らす緑のひとびとが、うれしく光をあつめている。

十五

 朝がつらい。きょうはとくに。台所の皿を洗い、朝食を調える。食欲がわかない。冷蔵庫に保存された残りものを器に盛り付けて温める。味噌汁と牛乳を食卓に並べたとたん、食べたい気構えが溶けていく。新聞を開く。字を追う気も起きない。それでも前職の会社の急騰している株価だけは確認し、こればかりはうれしいことで、社員たちの弾ける表情を想像することで元気にさせてくれる点でいまでもお世話になっているということか。

 新聞は後で読むことにし、庭に出る。陽の熱が袖をやすやすと越えて肌を攻める。薔薇の花弁に触れてみると心地がよく、花弁じたいの物性を調べて産業へ応用するとしたらどこに使えるんだろうかとかんがえようとすると、猫が来た。縁石の陰になっている位置に座り耳を細かく動かす。なるほど、物干し竿売りの音、隣の家の掃除機の音や玄関扉を閉める音、重い車が路面と接触して擦れ合う音など、聞こえてみれば聴けてくる。でもたぶん彼女は鳥の声を追っている。蝶を追って叢に埋もれていった。

 改めて朝食を摂ってみる。食べはじめれば食べられるものである。そして、そんなときほど意識の柵から放たれている。急に素数波ということばが思い浮かぶ。先月だったかに描いたあの規則性のなさそうな間隔をとる波に、ぴったりの名だと思った。先日の晩に読んだ敬愛すべき女性作家による調香にかんする記事に、その波を描くために使った数学的変換の名称がたしかに載っていた。

 いま振り返ればその記事じたいがその級数変換についての物語だったとも読め、このようにうつくしく数学を叙述する彼女の文字の打ちかたにえもいえぬ敗北感を覚えたのだが、なるほど素数波はもっとも安定する軌道だ。どんな電子も選択してしまうほど安定な経路だ。と考え至ったとき、ぼくの仕事はやはり数学的な物理学であり、しばらく朝の調子がつらかったのも数学に時間を割かないようにしていたからだと思った。

 公表した理論の誤りが徹底的に糾弾された夢で目覚めたことを思い出すと、人は眠っている間も考えているということに気づく。誤りを究明することをかんがえていたがゆえに素数波ということばがついに浮かんだのだ、その過程は連続している。当座の目標が数学の本を買うためのお金を稼ぐことへ切り替わる。午後からまた職を探しに出かける。

十六

 けさは爽やかだった。卓上に置いてある残飯を温めた朝食もじつにうまい。安眠したので起床時刻の左半分が二桁になっていた自分は社会人としてだめであるが、求人情報誌をみて五件電話し、職安を二カ所まわり、研究所の求人について問い合わせ、都内の説明会に参加し、こころをこめて書いた履歴書を二通送り届けた今週は、営業だとしても充分はたらいたと云え、正規の職をもっていないのだからきょうは休んでもいいかと思う自分は甘いのか。

 市内の遊歩道を開拓しようと、地域新聞に紹介されていた海側の道を歩く。この辺りは美術学校時代に自転車で訪れもの思いに耽っていた地域でもあり、大学院へ進む前に唯一受けた私企業の帰り道にはたらくということについて考えたところでもあり、そういえば浪人時代に市内の団体に入って弓道をふたたび嗜んだ場所でもある。市内に暮らしているだけあってあちこちに切れない縁ができている。

 海沿いの道は工場の並びと広大な敷地を持つ店舗群とを隔てるふとい道で、公開講座を聴いた契機から大学院の進学先として選ぼうと思った大学もまだそこに建っていた。警備員が白い軍手を振る交差点は相変わらず彼らを必要としている。岸壁沿いを隈なく走った高校時代をなぞろうとせずに、巨大な店舗群のほうへ進む。

 日用品店が新たにできている。二階は家具屋と衣料品店だ。安いし品ぞろえも豊かだ。六角形で中心が丸く刳り貫いてある橅材を手に取り、鉛筆立てにしてみたいと思ったが五百円である。隣の大量卸売倉庫のような店舗にも立ち入る。まるで昨世紀米国で流行した芸術家の作品のように同じ包装の食べもの飲みものが重ねられている。二階の入口には券を買わないと入れないとの看板が吊るされ、まるで遊園地の入場門である。その倉庫を出ると自販機に五百竓の水が三十円とあり微笑し感心する。

 さくら広場にももちろん寄る。春しか開放していないはずがいまではいちおう入れるようで、回転する噴水のしたに虹が円いすがたを現すさまを見ながら水をよけるなりが子供っぽくて恥ずかしくてますますよけた。小高い高台から見る新都心の風景がなにか余所者にみえる。手前に茂る木々が規則正しく植わっているのが見えると、空の色に溶けそうな細長い摩天楼がただの陽炎に見えてくる。

 帰りに乾麺やお菓子や缶類がまとめて安く売っている、入場券不要の卸売店に立ち寄り、おいしいものがおどろくほど安く手に入ることを確認する。畑道で後継者が居なくて困っていそうでないか農婆たちの背中を見るが充分間に合っていますよと読めるようで残念。ともあれ僅かの収入があれば同じ食べものをずっと食べても飽きを知らない男に育ってよかったと思う夕暮れだった。

十七

 雨が降っている。掃除中の母か出発前の妹がかけ残した交響曲と庭先の大ぶりな薔薇の濡れ方が静かに調和している。読み溜めた新聞を読み、笑いながらも、じぶんにとっての数学をほかのひとにとってのそれと比べてみたくなった。というのは、じぶんの数学観がただしくない、じぶんが勝手にそう読んできているというおそれがあり、仮にそうであれば数学をそのようにも読めるじぶんの揺るぎない読み方はすでにひとつの発見であるおそれがあるのだ。

 だいいちに、数学を解くものと思っているならそれはしあわせでない。数学はなにより表すもの書き著すものであり、数学で画かれる世界のなかに住むとは書かれたものが直ちに世界を表すものになりゆく、書くやいなや直ちに世界がこのようであったことをわたしが理解していく、この驚きのつづいていく暮らしぶりのことである。

 じぶんでみちびいた式がすでに書き表された式や手法としてとある本のなかに見つけるとき、あぁこのひとも同じような暮らしのなかで同じように世界とつながっていたんだな、そうなんだよなぁ、と読めてくることがたのしいのである。自然言語では同じような表現を借りることはあっても同じ文字を「みちびく」ところまでいかない、その模倣は文字列の一致度が高いほど剽窃と呼ばれる。

 しかし数学は同じ文字を同じように模倣することによって同じ結果を得られる。その模倣の仕方がそのまま心身に染みついていき、多くの理論を同じように書き倣って身につく考え方見方が意識の底で混ぜ合わされ、もちろん世界の見方がひとつではないとか、ひとによってちがうからたくさん考えたもの勝ちだといった知恵が誰に云われなくとも自然に身につき、その知恵が顕れてくるほど数学が単なる文字列に見えてきてしまう。

 そうであっても計算する論理規則はすでに身体をそれはもう緊く縛りあげていて、ふつうの数学者はそれを緊張感といって求道者のそれとして正しい人生のための資本としていくが、数学を、あっと驚く数学を造り出した人ほど、その緊張感が単なる応力、発見中の夢か発明後の身体がかけ残した夜想曲となって、内面を静かに奏でつづける。ではその楽譜と調和する水分はなにかといえば、もうおわかりだろう。

 数学は裸なのだ。数学には垢がついていない。赤ん坊の言語なのである。幼いときに数字につよい関心を抱き、その文字の並びを正しく操作できるのも、数式が発音しなくても意味がとれる規則をもつからなのだ。数学は沈黙の文字列であるゆえに、年齢や性別を問わず話しができ、それゆえ沈黙に耐えられないひとたちは次々と降りていく。

 数学の好む規則は籠の中の果実の数に始まり、それがしだいに写実性を増す世界へと拡張されていったこの数学の豊饒の歴史は、つまりは裸になってみえる世界の広がりであり、その湿度は内面を、なによりも内面のきつくしまった場所をつねにあつく濡らす。そのあつさを抱えて生きる数学者は、なるほど色男で魅力的な素顔になってくるわけである。

十八

 ぼくは、どうかしている。今月いまのところ千五百円も使っていないが、退屈することがない。暇を持て余していると云われればそうなのだと認めざるをえないが、その時間の密度はそう云ったひとの想像しているそれとはかけ離れているにちがいない。新聞を二紙精読している、そう一誌は無料で配ってもらっている、その丸めた口車は隠しておくとして、新聞をよく読んでいる。

 株価が下がることを忘れてからというもの、新聞が内発的に変わった。それは単に文字面の話しではない。識者の唱える論理のあかるさ、論説文の先の先まで読むその読み先が、経営とは何か、経済とは何か、組織を管理するということがどこまでみえているべきかという視野へ斂まっていく方向だけは見とどけ、あぁぼくの進んできた、築いてきた、これから細部にわたって見通そうと思っていたその視界が、それじたい誤りではないことが確かめられるにつれ、個人がこれからどうふるまうかが個人だけの問題では済まない、それはもはやそもそもいまを生きるほぼすべての個人にとってもそういえる時代が現代なのであるが、この豊かな街に暮らす幸運に育ったじぶんだけが豊かに暮らせればいい、では済まないことが、少なくともこの見方が正しいとした判断の基礎にある。

 したがって、この生活、昼下がりに出歩き三十円の水と七十円弱の駄菓子を買ってうれしがって家へ帰ることすら毎日行わないでいるこの贅沢な暮らしぶりは、文字通り贅沢というものであり、こんな暮らしをだれもが、じつは望んでいるのかもしれないと思えてしまう。ほんらい働くべきときを働かず、しかしながらお金のために働くことに動機がつかない、この子供じみた無口で正直な男は、労働を、搾り取られたぶん搾られた果汁は所詮じぶんの汗でありとてもうまくない、だからそれ以上のなにかであると思い、それを実現する企業を探しているのだ。じぶんの汗を軽蔑し、がんばった分のごほうびとして差し出す手を悉く拒否し、お年玉を一銭も使わずに貯めて書棚の本とした、この育ちぶりゆえに、このような暮らしに退屈するどころかこの生活の永続を望み、一万円で数か月暮らせる暮らしを夢みてしまうのだ。

 仕事が、ない。ひとつもない。ぼくを雇ってくれるところは、どこにもないようだ。ほんとうにないのだとしたら、ぼくには奥の手がある。少なくとも三つある。これらは革命を意味する。現在の産業地図を破壊してしまい、立ち直れなくなる業界もでてくる。もちろんいずれも花形だからすぐには壊れきらないと思うが、なんだろう、この状況、どこに申し入れてもなんの職にも就けないこの困難な状況が、革命論文の提出を許していると読むのが妥当なら、ぼくはそうしよう。しかし、壊れる業界が身近に、そしてくっきりと見えているがゆえ、論文としてまとめることさえ踏みとどまっているこの数か月を耐え忍んでいる重要性を、やはりだれも理解していないと思わざるをえない。なるほどだからぼくは退屈することが許されていないのかもしれない。だれか飼ってくれるひとが現れれば落ち着いて過ごすのだが。

十九

 すっきりした曇り空だ。光の量が稍つよく、鳥たちが囀り、運送車の叫ぶ旋律が冴え渡る。空気が透明度を増している。昨日愛する人が現れ、思いが伝わり、文通する仲になった。只々うれしく、安定し、起床時の記憶も悪夢ではなくなった。生き方において、なにがいらないか、なにを捨てるべきかが、わかってきた。

 本について、教えを乞うための本は、もうこれ以上、買わない。師はすでにたくさんおり、じぶんにとっての師の中の師も決まった。その彼は仏国を代表する偉大な数学者だ。なぜ彼に決めたかと云えば、不遜かもしれないが、じぶんにいちばん似た生き方考え方をしているからだ。

 彼も十代で重要な数学装置を発明し、哲学の思索をしつづけ、神と存在の現実に生きた。これらはつながっている。もし彼が十八歳までに斬新な数学装置を発明していなければ、哲学を正しく修めることはできなかったろうし、神と我について考察する必要に迫られることもなかったはずだった。

 彼の偉大さは、既存の宗教をそのとおりには信じず、しかしながら教典を忠実に読みながら生きたということだ。解釈に曖昧さが残る時点が昏い信仰への第一歩となりうるということ、さらにはそれでもどんな解釈も正しいと許容できる読解力をもつこと、このことが、彼が第一級の数学者であることの証しである。

 哲学はやむにやまれずに行う営みであって、もしだれかの哲学を読むだけで癒されるのなら、哲学をつくろうとしなくてよいのである。書き続けなければ、じぶんを救うことができないひとだけ、思索をふかめればよいのである。悩みのふかさとはそのようなすがたをしている。

 深さはひとを離す。深さは理解してくれる人の寡なさを意味し、理解してくれることを基本的には需めないことを、表す。しかし、ずっと独りではいられない。どこかで愛を発散しなくてはならなくなる。それが生命の勢いとして文に表れ、そうであるほど優れた創作となり、長きに亘り保存される文字列となる。

 文通できるひとが現れるなんて、恵まれたことだと思うべきだ。たまに会うことができ、一緒に暮らさなくていいなんて、運が良すぎる。少ない収入で充分だと悟ったなか、愛するひとがおり、多くの所持品を今後手放すとしても、それでよいのだと思える、この暮らしが、続くよう、勉強を捗らせることとしよう。

二十

 安定している。よく眠れている。笑うべき文字列を狂ったように生産する病はひとまず癒えた。思いが通じなければ病むわけだ。無知から脱出するため、昨日は自分の考えをまとめた。書き出すにつれ自分がこのように考えていたこと、これしか知らないこと、このように世界をみているということが、わかってくる。これらの文字たちはもう、妄想に基づいたものではない。

 というのは、先日とある出来事を目撃した。この出来事が、自分にとって切実に問うべきことを隠しているとみた。この問いを考えなければ、ぼくはずっと自分のぐるりを知ることができないし、うまく他人とかかわることも、就くべき仕事に当たることも、できないと思った。その出来事とは、ある男の目を瞠るべき所作だった。

 その男は立ったまま、低い食卓の上で生卵を割った。中身は器に入ったが、それに安心したのか、殻を床に落としたのだ。男はまずいなどと云いながら、ふざけた表情を浮かべながら、毀れた白身を拭い、台所へ捨てに行った。ただそれだけのことである。そうなのだが、ぼくは唖然とした。軽蔑さえも、もうこれ以上すべきでない、いや、いままでの軽蔑もすべてなかったことにするから自分から近づくべきなのだ、とまで思った。

 なぜ、その男には安定した仕事があり、安定した家庭を長きに亘り維持することができ、日々の職務を差し支えなく行うことができる一方、どうしてぼくは職が決まらず、収入もまったくなく、努力の成果、おそらくは素晴らしいのであろうその成果を、少しもたのしむこともできなくなっているのか。これは切実な問いだ。

 この問いは、自分のいままでの歩みを理解するうえで重要である。次席で入った高校を自ら外れ、したがって安定した職へ向かう道を自ら退き、その調子のまま多くの機会を自ら断り続けて今に至る、傍から見れば馬鹿で愚かで、数奇なこの半生が、なぜ生まれたのか。なぜこのように育ったのか、育つことができたのか。少しも後悔しないのはなぜなのか。

 この問いに答えようとすることは、喜劇性を帯びることは目にみえている。なぜなら、答えがみえているからだ。人は若いときとそう変わらないという点で、みな同じようなもの。若いときに怠ったことはずっと気づけずに過ごし、気づいてしまった悩みはずっと抱えて生きるのさ、問題は、どちらにせよ、喜びを感じられるために、立ち開っているみえないものを捉える知恵を考え出すことは、少なくない数の人たちにとって役に立つのではないか、そうなればそれが自分の強みになるのだろうということだ。

二十一

 すっかり晴れ上がっている。からっと乾いて暖かい。胸の支えがとれて、楽だ。容れもののなかになにも入っていないこの状態は静かで気持ちがいい。両手に力が溢れているこの感覚は、なにかの死ではなく、なにかの完成を意味しているのだろう。しばらくすれば手が新たな仕事を捕まえてきて、空の容器にふたたび熱湯を注ぐのだろう。

 昨日の生卵ひとつも割れない男の話は、すぐに答えの出る問題ではない、しかし考えるべき問題である。その男は高校生の頃、洋菓子職人を夢みていたと聞いている。でも彼が洋菓子を作っているところは一度も見たことがないし、卵を割るのを見たのも、初めてである気がする。それゆえ、当然次のような疑問がわく。

 ほんとうに目指そうとしていたなら、独学でもなんでもいいから作り方を学んでいるはずで、現在もたびたび製菓の腕を披露するはずではないのか。その男はその道に進まなかった理由として時代の条件や金銭的条件を挙げたように記憶しているが、それらの理由は夢をまったく諦める理由になるのだろうか。

 その男はぼくにたびたび諭してきた。学問や芸術を生業にできるのは、ほんの一握りの人なんだよ、と。だからこそ、公務や法人職員、事務職といった職業をぼくに強く勧め、ぼくもそれに従い学び先を選んできた。でもけっきょくぼくは天文学への志は捨てきれず独学で物理を学んだし、文字ともののかたちを考えたい気持ちも諦めることができずに、設計をじつに幅広く学んできた。

 男が勧める仕事と、ぼくが取り組みたい仕事のあいだには、隔たりがある。どちらかを選ばなければならないのなら、選択をいまだに保留していることになる。前者の職は安定しているが、単調でつまらないかもしれない。後者はきっと喜びを感じて取り組めるが、収入が得られるかどうかはわからない。

 実力が全くないとはもう思えない。でも、この力をどのような仕事に生かしたらよいのか、知っている人は周りにだれもいない。願いがあるとすれば、その男がつねに否定する遊びの要素すなわち試行錯誤を、男の目の届かないところで、存分におこないたいということである。つくりたいものが、生涯をかけてもつくりきれないほど、ある。工房をひっそりとつくって、作りたい人を集めて呼んで、一緒に取り組むこと、それが仕事になっていれば、ぼくはきっと喜べるのだ。

二十二

 いまにも泣き出しそうな雲行きだ。起きるなり顔を洗い、冷めた味噌汁を台所で温める。朝の番組が流れていると、突然朗読の場面に変わった。すべてを知ってしまうとつまらないわ、想像の余地がなくなるじゃない、と聞こえた。たった数秒間のこのことばが、深く刺さる。知ってしまったがゆえ、想像の世界は前にも増して飛躍している。しかし、このように、知ってしまうことで想像の芽が摘まれる人がいることを、大事に考えなければならない。知ることは想像をさらに膨らませるはずなのに、なぜその赤毛の子はつまらなくなるんだろうか。

 昨日訪れて予約した労働施設へ再び赴く。就業にかんする心理相談にかかる。正直に、いまお金の価値が分からなくなっていること、お金を稼いでも持っていることが怖くて使ってしまうこと、そもそもお金が怖くて動けなくなっていることを話す。担当の方の質問に当然答え、何度話しても泣いてしまう半生を話したらまた泣いてしまった。

 大手企業や博士課程進学を勧められ、そこへ向けた就業対策を行ってくださることになった。とてもありがたく思う。すでにぼくが答えを持っていたかのように、迅速的確に指摘してくださったのは、自分自身が見えなくなっていたということか。帰り、洒落た研究計画を組み立て、母校の大学へ寄り、募集要項をもらう。溶媒業者の方と遭遇し、互いにまだ面識を保てているのがうれしく、話し込む。この大学にいられれば、心身を取り戻し、再就業へ向けて健康を保てる気がした。

 帰宅後、天然采の目にかんする計算を進めると眠くなり、けっきょく四時間眠る。今朝は少し早かったし、気圧が下がっているし、なにより感情の起伏が激しい話をしたからだと思ったとき、それはつまりよく眠れる知恵に他ならないことに気づいた。ともあれ、入梅したのだからしばらく眠りに絡まれる日々が続くのも自然なことだと納得し、勉強を少し進めて今日は休むことにした。

二十三

 ゆったり過ごせる日だ。明け方に起床し、勉強を進め、新聞と朝食を摂って再び眠る。三時間後起床し、数学書をひらく。経路積分の本である。量子力学が複素空間で完全に記述できることを確認し、らせん規約によって次世代の力学も記述できることを知る。単純な操作によって古典解析力学、量子波動論、軌路理論の三者が連結でき、整理されることに、感慨深いものを覚える。

 遅めの昼食後、有益な本を読む。英国の経営組織論の権威が著した働き方の未来を考える本だ。株価回復の前に出版されたため、厳しめの見方を採っているが、そのことが逆に、好景気に足元が浮かれる前に行われた分析眼の確かさを保証している。尽きゆく所持金で購入した最後の本であり、良書を選択する手においては我ながら神の能力と思う。

 大量消費生活から決別し、現在の暮らしとそう変わらない倹約生活へ転向し、これを生涯継続することは、揺るがない。意味のわからないくらいの大きな収入がかってに入ってくる生活を思い描く必要は、もうまったくないのだ。そういう生活を送る人も身近には、いるのかもしれないが、自分にはもう望めないし、もう望まない。ひとりぶんの、不自由のないていどの生活を支える収入を得られれば、それ以上ないことだ。災害用の消費期限の切れた水をありがたく飲んで暮らしたこの一か月の経験は貴重だったのだ。

 現実的に、この場所から遠いところで暮らすことは考えにくい。いま住んでいる地域で、適度な重さの職を見つけていくのが合理的だ。存外な話は考えなくてよかったのだ。しかし、自分固有の発明や発見を、推し進め、広げて展開していくことは、小さいことではない。この半年で淡かった想念が現実的に固まり、確固とした数学的実体となって構築できた。これは自分の生涯に亘る財産となり、今後多くの人に豊かな影響を与えていくことになるだろう。発想を持ってしまった以上、伝え続ける義務を、いまはただ感じる。

 わりあい特殊な生き方だ。特異な能力を磨き、数奇な人生を選んでしまった以上、時代の波に漂流して生きることはできなくなった。しかし、波の先端で時代を乗りこなす道具を掌中にした。この道具は確かな品質だ。大きな富も、精神的貧困も、回避できる。それはそれで、そういう生き方もあるよね、と誰からも云われてみたい。働きたい意思が、腹から込み上げてきた。

二十四

 晴れて暑くるしい。午前大学の図書館で資料を漁る。神経科学の本を二時間で読み、こんなもんだよな、と思って帰る。玄関に置いてある昔の教科書を布袋に詰めるだけ詰めて持ち去る。校門から出ても恥ずかしい。世間様に顔向けできない、大きく逸れた人間であることを認識する。昼食を、と麺屋や定食屋の暖簾を覗くが、財布のなかの百二十五円を確認するやいなや、腹を極めなければならないことが確定した。

 近くの商店で来月分の所持金をおろす。源資はじぶんの稼ぎではなく、家族に借りたものである。限りなく情けない足取りで、気晴らしに津田沼に向かう。陽に当たって歩いているのはもちろん気持ちのいいことで、ずっとこうしていたいと思う気持ちを収めておく。書店で商品券を使って、おそらく最後となるのであろう書籍を購入し、帰路につく。

 所持金が予定通り尽きたなか、来月からどうするべきか歩きながら思案した。やはり、研究するしかない。ぼくにはもうそれしか残されていない。社会の規範からこんなにも外れた若者を飼ってくれるのは、研究所しかないのだ。そこに漏れたら、ぼくは路肩で暮らすしかないのだ。涙を溜めながら帰宅し、早速あつめた文献をもとに論文を書いた。

 じつは一か月前に問い合わせた研究所での求人が、まだ公募期間の内なのだった。必要書類を準備する指が、ほかの職のときに比べても信じられない速度で書類を次々と仕上げていく。先ほど書いた論文だって、半年間書けないと思い続けてきた論文である。書いてしまえばたった三時間、生命の核心に迫る革新的な論文が、たった三時間である。革新性と書き上げる速度に相関を認めざるをえない。

 いままでいろいろと悩み、妄想し、じぶんで苦しんだことが一挙に晴れ、じぶんのゆるまぬ情熱の温度に苦しむなか、封筒に緘をし、郵便局へ持参しようとするのはさすがに間に合わず、買ってきた本を開く。世間の価値観から大きくはみ出した人がどうやって生きればよいかが語られている。もはや必需本である。論文を書きながら、これだけでかいものを書いてしまったのだから、もうこれを利用して生きていっていいのかもしれないと思った。すなわち、お金から決別して放浪する科学者として、日本中の軒先を訪ね回りたいのだ、と。かつての放浪数学者の生きざまがすぐさま脳裏を過る。

二十五

 澄みきった空だ。だが、空だけではない。左耳、その奥のほうが昨夜から澄みきっている。けっして気持ちの良いものではなく、鼓膜が緊張して破れそうなかんじがするその内側で、感覚が澄んできて落ち着いていくかんじがする。さいわい、牛乳を摂ったら破けそうになるかんじは緩和したが、聴覚を失った作曲家の最期を連想したら怖かったし、そういうことを考えるから気分がいかれたような身体になるのであると反省し、我を呆れた。

 じつは、不眠が治った。金曜日に数時間で数枚にわたる論文を書き上げた夜から、よく眠れている。虚数を価数に変換する式に基づき複素空間が捩れていることを発見した四月の日から体調がみるみる回復しており、意識の電磁気的描像をまとめたことが、じぶんにとってのもっとも困難だがもっとも大事な仕事であったことを書き終えたあとに知る。

 なるほどかえりみれば考えることは辛いことかもしれないが、ひとりで考える分には辛くなく、散策し浮かんだ考えを書き留め、推し進め、振り返って残った流れる文字列の跡が問題に対する仮説としておどろくほど連続した足場だったことを知れたいまは、自由な気持ちでおり、その仕事に対しては満足できるし誇れるし、しかしながら知らなければならないこと知りたいこと実験するべきことが噴出するのは、もう止めようがない。

 したがって、これら論文を刷って封入して郵便局へ書留で送った午前中は、そういえばどこへ行っても研究職が向いているよといわれながらも、お金がないわ博士もってないわで実現しなかったこの半生のなか、研究をつづけてきたことが実を結びそうな気配がすごくする。独学のなかいくつかの幸運にも恵まれ、遭った病も発見と恋する出会いによる昇華によって治癒したこの若者は、とても多くのことを学んだようである。

 ここで落ち着いて考えてみる。仮に研究機関で否といわれても、じぶんにできることは多くある。世の中にはさみしい人や猫の手も借りたい人がさみしく暮らしているそうである。そういうひとの話を聞くことはとても好きだし、哲学的なことを織り交ぜた対話で悩めるひとを癒す技術をもっているので、病院や大学の就職課や介護施設や市内の民生委員や少子化関連事業などで役立てられるのだろうし、お金さえあれば元気のない独居人や若者たちを呼んで集めて海や山を出歩いてみたい。

 そう思えば、少しでも名を成せば元気になってくれる度合いが高まるのだろうから、名が通るようなことをひとつだけでも行いたいし、そうなってくれば余生まで楽しかろうとおもうので、お金がないこの暮らしを今月いっぱいでなにがなんでも切り上げるべく、まずはふたたび資格の勉強に励むと決めた午後が来る。

二十六

 もう、笑うしかない。国や経済団体が猛々しい速度で新しい仕組みを敷いている。百三十項目という数は、いままでいかに無策に喘いでいたか、考えれば泡のように出てくるものだ、と気づいたことに他ならないのだろうが、その原因をことばの訳し方に求めてきたぼくの視点はそれなりに当たっていたのかもしれず、ぼくの考えを鏡のように映してくださったと読めるので、あぁやはりこの国はこの国らしさを忘れたままことばを使って会話していたのかもしれないと思うのだ。

 というのは、ぼくはなにも変わったことをしていない。日本の伝統的な思想をまず読み込んで、たまたま発見した物理学の基礎から開ける日本的な世界観を数学で表そうとしただけである。べつにぼくは神でもなんでもないし、宗教をとくに信じているわけでないし、これから宗教を作ろうなんて思うはずがない。ただの無職男である。

 だんだん、医療事務の勉強に対して熱が冷めていく。なぜかといえば、限定正社員はとても名案であると思ったのもあるが、そもそも医師という人間にも当たり外れがあるのではないかと思えてきてしまうのだ。悪いけど夕刊を読んだ。憲法が変えられたら日本国籍を捨てますと言い切ったこのひとはほんものだ。こういうひとこそ世界に出て活躍するひとなのであって、医師でなくともその実行力を見習いたくなるのだ。

 でも隣のひとは、論理的に転倒した話をしている。高所に行って酸素濃度が下がると血管が収縮しますが、登頂直後に測るとふつうの人の数倍の活性があったため、高山病にかかりにくいなどと云っている。なんだろう、この論理。高いところは気圧が低いので、体温が下がり、血管が収縮する。だから、血流量が少なくなる状態に適応しようと、酸素を供給する遺伝子が働くのである。登頂を何度も繰り返しているため、その遺伝子の感度がよくなり、より多くの物質を放出できるようになることが進化であるのだ。

 さらに、笑うと脳内麻薬が分泌され、自律神経を安定させて末梢部を広げるのです、などとしたっているが、笑うと末梢部の血管も広がり、自律神経の流れもよくなるので、脳内麻薬が安心して分泌されるのだ。おすすめの食事や運動習慣も、なんか売れない啓発本のような内容で、まちがってはいないがなんだか全体的に信用できない。

 しかし。よく考えてみれば、生命を物理的にみている人は、科学の歴史を振り返ってもまだ少ないことを、ぼくは知っている。後者の人は、ほんとうに知らないだけかもしれない。医者として名を馳せているのだから、さぞ立派な人物に相違ない。そう思ったとき、ぼくは医療事務を目指すのではなく、医師に物理と化学を教える立場に立っているのかもしれないと、思った。医者いらずの暮らしが、ほんとうはよい社会であると、以前ほかの医師が勇気と英断をもって書いているのを、この新聞で読んだことがある。暮らしやすい社会とは何なのか。もう、笑うしかない。

二十七

 今朝、初めて母親と喧嘩した。この一週間、父親と喧嘩していたが、初めて母親の悲しむ理由を聞くことができた。父親との喧嘩は円く収まった。父は実はぼくが物理や数学に向いていることを解っていたうえで、漢字検定の表彰のときから将来を期待していたということ、その後の苦労もすべて理解していた、そのうえでの行動だったことを、ぼくは初めて理解した。

 この子はなんでもできる、誰に云われずとも自発的に努力を兀兀と積み重ねることができる、手のかからない子だったと、だいぶ幼いころからみていたことを、わかっていると考えていたことが、ぼくは初めて分かったのである。父親は教職だが、考えに考え抜いて育つ環境と機会を与えてきたことが、内側のぼくにどんな苦しみを与えてきたか、その一点については理解していないようだった。

 しかし母はそれを親に対する甘えだと言い切った。ぼくは皮肉屋でひとを不幸にする人間だと。しかし幸福な生活に耐えられなかった中高のことを考えると、幸せに耐えられなくて逃げるのではなく、幸せな家庭に我慢することが可能であること、完全になりゆく幸福な生活から逃げずに耐え忍ぶ人生を基礎に据えなければ、人間界で生きていけないことを覚悟するよう諭された。

 母は言う。病気だと甘えていないで死んだ気になって克服せよ、自分と向き合えば今の自分を変えるという答えが出ると。ありがとうと声に出して感謝すること、皮肉を言わないようにしっかり気をつけ、それでも言いそうになったら心の中で一、二、三と数えて気を付けようと気持ちに命令すること、なぜなら思っても云わないことが思いやるであると。

 甘えると人に当たる。自分にも家族にも甘えすぎている。親や妹に当たってきたことに自覚がないのだから、しっかり気を付けるよう覚悟すべきだと。いつか親になって今日のことがどういう事態なのか、わかるときが来るだろう。二重周期関数でもいいけど、ぼくはやはり螺旋を探求したい。このことが自分の欠点であり長所であり、偉大な業績につながり大事なものを失うきっかけになるかもしれず、気持ちの持ちようという箴言がやっと刻まれたのだ。

二十八

 療養中である。心身症と不眠が重なる病であったのだろうが、薬の量が増えるとまたもや不眠がぶりかえす。睡眠を規則ただしくとれていた退職後の数か月間を思い出そうとつとめながら、信じることができない量の向精神薬を服用している。それでもなかなか寝付けない毎真夜中である。

 福祉や医療に詳しい両親の勧めにしたがって、好きなことを淡々とこなして闘病することにした。百円小売店で漢字練習帳と千代紙を購入した。つい最近まで残せたじぶんの文字列を筆写すると眠くなることがわかり、昨夜は寝つけたが、日々刻々と変わる病状である。今夜はどうしたらよいか、じぶんで工夫していくことに変わりがないことを確認した。

 千代紙に自由性を悟ったのは市内の携帯電話店である。千羽鶴を市民病院へ寄託する箱の中に、花束状に包まれ恥らう白鶴と、飛ぶに飛べずに暖かい地方で潜水する鳥、そして湖を鏡に雄大さを誇る富士を、それぞれ二枚の折り紙を組み合わせることで表現した。じぶんのつくったものに満足できないでいた帰り道に、ちょうど頂で挫かれるべき重い現実にしたがい、自主的な降りかたを知った。

 昨日千代紙で作ったのは、色つきの面と無色の世界が反転した花と、再び富士である。富士の作り方は覚えていたが、ほかの折り物はこの脳で憶い追えない織り方だった。忘れることは佳い出来事が多く、忘れられずにいる情景は執念深く反省し続けるわが脳である。花の包装に使えただろう包み紙の折り方を、記録することができない。悪魔のようにこれだけ記憶し続けている男であるのに、肝心な思い出をたった一点の瑕疵へ縮め、反省する流孔として吸い込んでしまう。

 これだけ闘病している身である。働くことが遠のいたままであるようにみえる。目と口の不均衡から、さらに遠くに霞んで見える。医療事務の学習が怒涛のように進むようになったが、禍のある口を噤むことに自信がない。弦楽の古典を聴くうちは、身体に歌詞が流れ、じぶんの現状を客観的に分析できる詩へと自動で訳し出す。現代の歌詞付き楽曲を聴くと、過去の流れを振り返るとともに反古飛躍を起こした者たちが残る淘汰原理を納得する。

 確かに機会があったのだ。しかし思慮分別について長考しなかった瞬発的否定力が、たったひとつの人生で自然と石に歩み突かれることも、それまでの指導に素直に反応したのみでそれ以上出なかった理由があったことも、現在を逆さ読みしすぎる想像回路の性格も、予定された映像を不自然にこま割りしたようにみえてくる。静的な世界をいかに動的に見せるか、心血を注いだ思想の結果が、早回りする経済運動を敲き起こしたように見える時点で、身近い細切れの時刻を只管闘病に調い扱えるよう、社会人への階梯を下りつつ治れるよう図らっている。

二十九

 完敗だった。有明の展示会へ行った。いま社会で何が起きているか知りたい目的で参加したが、瞠目的発見の連続だった。ものづくりになにか急激な変化が生じていた。いくら投げ落としても割れない瓶包装、弗素の網状繊維など、信じられない素材と形態を持つ新製品が、思いもよらぬほど新出していた。

 私は単に組み合わせたり付け加えたり原理を考察して展開して設計らしきことを行っている。しかし独自色の強いものは肉視では機能が見えにくく、創発を埋め込んだ製品設計が出回っていることにまず敬意を表したい。そして、質問すると丁寧に答えてくださる技術者の優情に感謝した。ゆりかもめで小学生の女の子が車内放送に様に呼びかけているのを見ながら、泣きそうになった。

 この社会は時間を超越して現代に降り立った未来の人が住んでいるのではないかと想像させるほど、活気的で立派な印象の人が数多く、時間観が狂っている自分にとっては、歴史上の前後も関係なく、時間旅行装置が作れる気がした。これは最後にして最初の発明であろう。

 景品を両手で抱えきれないほどいただいた。なぜこんなにも戴いたのか、私は不思議に思う。そりゃ、商談の場なので、製品を購入したい人であふれており、ちょっとした提案も行った、その見返りだろう。顔を見て軽く話をするだけで済んでしまうほど、この国に人間関係安全網が張り巡っていることをはっきりと知ったし、現在世界規模で何が行われているのか、状況をつかめただけでもありがたい一日だった。

 帰宅後、自殺したい念慮が完全に消え去った。ぼくは生き抜くしかない。寿命を全うするしかない。そんななかで、きょう就職面談があり、医療事務の資格を取り、応募中の企業が雇ってくださることになれば全力で働く、強い意志をもらった。日本の、そしてもはや世界じゅうのひとびとのこころの広さ、こんな小心者でも生かされたままでいいという温情が、自分の心の狭さを連想させる。

 いま行うべきことを少しずつ積み重ね、大きな収入が得られたとき、つながれた商談網が一気に発揮され、科学の実験と工作機械を大量導入した製造工場を作るため、まずはやはり仕事に就き職業人生を再び実践すること、これだけは今日の就職相談の主題となることを、朝の鳥の啼声が思慮深く指摘している。