閉包

- わたしは小説が読めない
- ベクトルKY
- 零点
- 静的領域
- 基底
- 前層
- 測地線
- 消滅定理
- 忘却関手
- 初期値鋭敏性
- オートエンコーダ


わたしは小説が読めない

わたしは、小説が読めない。と人によく言う。文字通り受け取る人もいるし、謙遜ととる善い人もいる。だから、わたしに本を勧める人は滅多にいない。わたしが本が好きではないことをよく知っている人とだけ、わたしは付き合うことにしている。

小説が読めない、といっても、わたしが本当に小説が読めないわけではないことは、自身でもよく弁えている。高校1年の時に国語の授業でわたしの回答が模範解答に2回なって配られたことがある。大学受験の時は模試の国語で偏差値81.9を出したこともある。中学2年で漢検1級をすでに取っている。デカルトやニーチェや千利休について語り尽くして国立大学に入学している。だから、わたしが読めないと言って素直に信じない人の方がまともな人だなとわたしは思う。

高校生のわたしは哲学書の原書を数冊、最初から最後まで読んだ。大学生になってもその同じ本を繰り返し読んでいる。その後の本を何冊か読んでいる哲学者もいる。また、別に哲学書に限らず、数学や物理学の本を100冊以上読んできた。化学や生命科学や情報系の本もかなり読んだ。だから、わたしの知的能力を疑う人には、さいわいあまり出会ったことはない。

わたしが小説が読めないと人に言う理由は、わたし自身が小説が読めないと感じるからである。つまり、正直な感想、自覚なのだ。では、なぜそう思うかといえば、小説を読んでもどこが面白いかわからないのだ。あ、そう… と思うか、無駄に日頃ずっと悩まされるか、こんな小説無くなってしまえ、と思うか、つまり小説を読んで、笑ったことも感動したことも役立ったこともない。そういう小説に出会ったことがないだけだと教えてくれる人も現れるかもしれない。そうなのかもしれない。でも、わたしは自分が読んできた小説が、かなり有名で定評のあるものが多いことをよく自覚している。挙げても日本の文豪とか、近現代の有力な作家とか、海外の名誉ある作家の小説を、実はかなり読んでいる。まだ読んでいない小説が書斎の棚にも電子端末にも数百冊眠っている。わたしは本を買って読んで持っている人だ。にもかかわらず、小説が面白くない、むしろとても嫌い、この世から無ければいいのに、と思っている人だ。

面白いところがわからない原因は、わたしの中ですでに明確になっている。それは、わたし自身が人間に興味がないことに由来する。どうしても、人間を面白いと思えないのだ。人間性、人間らしさ、生き物や命らしさに、何か感じないし、何も感じない自分が嫌になるのだ。素晴らしさとかかけがえのなさ、と言う人が大嫌い。わたしはどうしてもそう思えない、劣った人間である、と言われていると感じさせるから。個性を称揚する人も大っ嫌い。個性なんて持たされているもので、それを発揮しても社会は良くならないよ?むしろわたしの周りが変わってわたしが生きづらくなるだけなのに、そうさせる理由でもあるの、責任とってくれるの。という意味になる。だから、安易にそんな人格を認めてあげるような姿勢で生きている人からは、わたしは秒速で去ることにしている。

小説の中で起こる出来事を、わたしがよくわからないということも原因だと思っている。わたしは性的なことに無関心なアセクシャルな人間で、そういう記述や言葉の意味も、行為の気持ちも何もわからない。だから、低俗な話には手もつけないし、高尚な作家であってもそんな話が入っていると、ストーリーに疑問符がついていく。また、死についてもわたしは人と異なる感覚を持っていると思う。話の中で人が死ぬことを、別に何かすごい事件だと思えないのである。死の後、人の関係が動く話は多いが、わたしはやはり死について不感症な人間だ。数年前、現に、大事な人が亡くなっても、わたしは涙ひとつ流れなかったし、死んで失った感覚も覚えなかった。なぜだろうと悩んだ時期があった。結局、わたしは20歳で自死の意思を決行した人であり、それから数年ごとに再決行しているように、生きようとか生きたいという意志が、おそらく微塵もないまま生きている人だからだ。社会に埋め込まれているから生きなくてはならない、そう簡単に死ねないことがよくわかっている。生かされている、という言葉が、わたしは、生きたいという自分の意思がなくていいんだ、と解釈していたが、最近お世話になっているカウンセラーさんから、生かされているとは多くの人にとってはそういう意味ではないと知らされ、わたしの誤解に愕然とした。多くの人が言う、生かされているのが感謝だ、というのが、だから理解できにくかったのだと納得した。

わたしが小説を読んでも面白くない理由は、以上の端的な数点からわかると思う。わたし自身が人間に興味がなく、わたし自身かなり数奇で苛烈な人生をすでに送っており、小説が物語として書かれた目的や強靭な訴求力を失っているのである。また、泣きたい時は小説や映画を求めなくても、わたしの思い出のひとつやふたつ、光景を思い出すかそれに付随する音楽をかければ、いつでも泣けるのである。

昔読んだある文豪が、小説を必要としない人もいる、という話を書いていた。おそらくわたしはその分類に入る人なのだと思う。でも、小説を読まない人が増えているというし、本が売れない時代と聞くので、わたしは今も毎月本を数万円買っている。お金を払いたいと思う作家や応援したい出版社の本を買っている。そして、その中の数冊をいつも書斎の手元に置いている。上述の意味で読めるわけではないが、一応読んではいる。まあ、別に単純な意味で読めないのではないけど、ああまたわたしは読めてないなといつも思う。楽しめない。楽しい話に出会ったことがない。誰か、記憶の中のわたしを苦しめず、わたしをただ楽しい気持ちに浸らせる小説を教えてくれたら、わたしは数万円分はその本を買おう。ちなみに明日は、20代の頃に愛読していた自然対数表の、桁数がかなり詳しめに載っている本が出たそうなので、予約する予定である。


ベクトルKY

わたしは空気を読めない。そして、空気を読めない、という言葉がどのような意味で受け取られがちかもよく知っている。おそらく、空気を読まない人がいる。この輩は、人の思想や感情やその場にいることの目的など構いなく、自分の思いや考えを述べる。そのわりに人の意見や反応を聞かない。聞いているのだろうけれども、それで深く悩んだり反省したりしないようにみえる。この現代にあって、健康な精神を持つ人だと言える。一方、空気を読めない人は、事情が異なる。空気を読もうとして思いを巡らせ気を遣い、人に配慮に配慮を重ねていても、全く読めた気がしなくて悩むだけの人たちなのである。

大抵は、会話に溶け込めない、加われず話せない、という自分への違和感から始まっている。わたしは人と話すのが苦手なのだろうか、このままでは1人で生きていくのだろう、わたしのこの性質はそう変えられるものではないのはよくわかっているから。しかし、人間なのでなんらかの組織や集団に所属しなくてはならなくなる。その時、対話を重視する人物や、関係の豊かな人間性を重んじる人がいると、彼らは集団の中心を担っていることもあり、大概、わたしは、烙印が圧されるか、爪で弾かれる。

そうなっても、集団に所属していなくてはならない限り、必死に空気を読もうとする。彼らは何を考えているのだろう、どんな人なのだろう、わたしは何をする人であればいいのだろう。常に自分を問い続ける。集団には何を考えるでもなく、何をするでもなく、気楽に属している人たちが多くいるというのに、空気が読めないわたしたちは、そのなんでもない気楽な空気感を求めて、必死に考え続け、気を回し続ける。しかし、当然、その結果はその努力に見合うものでない。100投資して1返ってくれば、その日はいい日。そして、日が暮れると尋常でない疲労で精神は帰路で途絶える。

これは言葉への感度という問題とかなり重なる。わたしが小説を読めない原因のひとつは、読むのが遅いことだ。人気作家の小説を電子書籍で買った。早速読み始めた。もちろん最初の数頁は次へ繰るだけである。目次の次に題名、そして本文が現れる。読んでみると、面白い表現、説明的でなく文学的表現が連なっている。文章の言わんとする光景を、連続した映像のように在々と描き出すために、文を行ったり来たりする。段落が終わって次の文の光景が続かなかったら少し前の文に戻り、像を結ばなければまた始めから読む。時々知らない単語に出くわすと、検索で意味を調べる。この前はコーヒー豆の銘柄だった。その名前は欧州で有名なブランドであるらしく、メーカーサイトでその包装の外観を確認する。ついでに価格も調べ、登場人物の生活水準を推量する材料にする。その次にコーヒーメーカーを操作する文がある。使ったことがなく全くわからない。やはり検索し、コーヒーメーカーの使用手順を頭に入れる。なるほど、5分もかからず淹れるモデルがあるらしい。

主人公は寝起きの朝である。そして次の文でタバコを吸い始めた。わたしはタバコを吸った経験もない。その次の文にはニコチンの効果について書かれている。どうやら緊張が和らぐらしい。つまり、タバコを吸う人は緊張しがちであり、わたしは確かに緊張を知らずに生きている。すると、緊張とはなんだっけ、となったので検索すると、わたしは確かに緊張をあまり知らない。余程の本番の場でしか緊張しない。と主人公の朝を描いた1頁が、突然消えた。電源オフと画面にある。要するに、わたしは冒頭のたった1頁を読むために、電子端末の電源が切れるまでかかっていた。仕方なくもう一度電源を長押しし、起動したら同じ本の書影を選択し、読んでいた頁が現れるまで、この本をどう読むべきか考えてしまった。おそらく意味が分かりながら読むことができない。なにしろ350頁もあるのだ!ただ、この小説はわたしに何か有効な内容を含んでいる、書評ではそう述べられていた。だからなんとかして読もうじゃないか。と言ってまだ4頁目である。

もしこれが会話の場だったら、と考えてもらいたい。当然、会話のあの速度についていけるはずがない。だから、普段のほとんどの会話は、内容を理解することを諦めている。言葉のうち、聞こえた単語ひとつだけをとって頭でつなげて、次の相槌を口走る。これがわたしにとっての会話である。当然、議論なんかするとなれば、全然趣旨を理解していないなどと非難される。対話などすれば、何も話を聞いていないなどと、相手の心を波立たせて終わる。もちろん、わたしの心などナイフで切り裂かれたキャンバスのようにすでに修復不能になっている。わたしが議論や対話した相手と必ずと言っていいほど関係や縁が切れるのは、このような性質によるところが大きいとわたしは考えている。

神経科学の実験でニューロンを観察していると、シナプスがつながりを持ったのに、一定時間後にそのつながりが弱くなり失われてしまう細胞がたまにある。そのまま死んで消えてしまう細胞もあるのだが、強靭にもむしろ濃く大きくなり、再び触手を伸ばそうと試みるものもある。そうであっても所詮細胞である、長く観察すると一定の大きさの細胞にとどまるだけなのだが、その1個で生き存える細胞が、妙に強く芯のある存在に思えてきて、わたしは見入ってしまう。空気が読めない人が、その空間に点として存在する過程も、孤立しているようで一隅を確実に占めており、悩んでいるようにみえるさままで克明に似ている気がしてくる。


零点

わたしは、罪を知りたいと思う。悪とは何か理解したい、との強い思いがある。昔の若い頃は、何事も経験だという知恵しかなかったので、知りたいことはなんでも行動に移していた。もちろん、善悪の観念が弱かったこともあり、法律上の犯罪にあたることもいくつか体験したし、聖書にある十戒のうちのいくつかを破ってきた。それは、悪の思いからというよりも、好奇心から出た行動である。なぜ人は罪を犯すか、なぜ人は物を所有するのか、なぜ物事には禁則があるのか。そういった社会への根本的疑問が、まだ若いわたしを反抗的に見える行動に駆り立てた。一度逮捕されたのだが、留置場で共にした人たちは、わたしには新鮮な好奇の対象だったが、わたしとは異なる動機に見えた。そしてそれは、そうせざるを得ない育ちを意味していた。知能が低く生まれた、教育に乏しく貧しい家庭に育った、金銭に困る状況に追いやられた。彼らはそうなるべくしてやっていた。この留置場には誰も悪い人はいないと感じられたものだ。

そういうことで、結局のところわたしは、悪が何なのかわかっていない。その原因を己の中に探っていると、ある命題が浮かんでくる。わたしには、なにもない、という命題だ。わたしは別に、知能の乏しさはなく、円満な家庭に育ち、学資保険が満額で下りるほど堅実な両親に恵まれた。そして、わたし自身も、学校で困難は感じず、勉強ではいつも数歩先を走り、物を作ったり考えたり探究心を燃やして過ごしていた。教師は押し並べてわたしに期待をかけていたし、同級生もわたしを一線を画す存在として一目置いていた。わたしは誰になんの思いもかけず、ただ学校でやるべきことを淡々とやっていた、だけだった。しかし、これが何かを間違えていたことなのだ。

わたしはなんの思いもなく、淡々とやってのけた。授業も、予習も復習も、単元の内容を深めることも、独自の研究も創作も、何から何まで自分で進められた。おそらく、周りの人たちは、勉強に多少の困難や倦怠を覚え、努力と忍耐などと自分を鼓舞し鍛錬する、そのような観念を利用して己と闘っている、ようだった。あるいは、才能に嫉妬や羨望を抱き、自分の無能さや非力を責めるなどして、複雑な感情で思春期から青年期を悩み抜き、成長していったようだった。そのような10代にくぐるはずの通過儀礼的な葛藤を、わたしはなにも感じず、ただ彼らを謎めいたものとして眺めながら、彼らが困難を覚えるはずのタスクを、なにも思わずにただやり遂げ、しかも完璧だと評価されるほどに修めきった。それが大きな機会損失だったと気づくまで20年以上かかったのだ。

これは社会に出てからも、教会に属していても、生活でも同様だった。出勤し研修を飛ばして実務に就き、退勤して帰宅したら深夜まで実装技術を勉強する。教会で毎週礼拝に出席し、讃美歌を歌っては覚え、聖句を暗誦記憶し、祈っては感謝し証しさえする。睡眠や栄養について深く学び、運動を継続的に行い、健康的な食材で自炊し、不摂生はしない。大抵の家事も買い出しも自分でする。これがわたしの普通である。なんの困難も我慢も禁欲節制の思いもない。なぜこれができない人がいるかわからない、という思いは人の人生の自由のために措くにせよ、ならば人からストイックなどと言われる筋合いもないはずだが、これが普通の日常。しかし、おそらくわたしの観察するところでは、わたしはこの日常から、喜びや楽しみをなにも得ていない。ただ落ち着いた変わらない無意味で無味乾燥な不動の空虚さを求めているに過ぎない。人間的感情をなにも汲み出せていないどころか、得ようとさえしていない。すなわち、生活から、なにも得られない。

難なくやってしまえる性質が、なにも得られない結果につながる。要するに、関門であるはずの難所を、難なく突破してしまうがために、そこで得るはずの成長を機会ごと失い、なにもなかったかのように終えてしまう。それがわたしの人生であった。なにもかもが空虚。それが自分の危機となる時、すなわち命の危険を伴うので、それをやめると判断せざるを得ない。そして、その道が一般的に好ましいものとして知られているがゆえに、その判断とやめる行為はいつも、裏切るという形をとる。恩師は必ず肩を落とし、旧友は悲しんで己を責める。わたしは去るしかない。わたしには彼らになにもできない。そして、難なくできたように見えたわたしは、その関所を越えてしまった後に、その難関と同じくらいであろう難所に、なにもない状態で戦う羽目になる。わたしにはその難関は、困難ではなかった。難関を越えてから、そこに困難が存在していたことに気づいてからが困難なのだ。そして悪いことに、越えた過程の記憶にも困難がどこにも存在せず、わたしは結局なにも学んでも記憶してもいないまま、ただ今、正体の掴めない困難をただ所有している、という困難なのだ。これが困難、心のほとんどを占める困難であることは確かなのに、わたしはどこかでその困難を味わった記憶がない、とっかかるきっかけもヒントもなにもない、ただ純粋に自分の中に存在し、自分でしか突破できない、という性質の困難なのだ。通過儀礼をただ通過してしまった者の困難。

もしわたしと時と場を共にしたことのある人なら、わたしで良かったのでは、と思うかもしれない。なにも間違っていなかったのでは、と。人にはそう見える。わたしがかつてあなたがたを謎めいたものとして眺めたのと同じような視線だ。わたしもそのまま生きても良かったと思う。けれども、わたしに終わる時が来てしまった。それは精神の危機であり、命の瞬断であり、生きる意志の涸渇であった。要するに、わたしがこれからもまだ生きなくてはならないのなら、わたしにはそれは何もかもについての間違いだった、これは何よりも確かな結論なのだ。

なぜなら、わたしには、なにも、ないからだ。


静的領域

わたしは読書が楽しめない。おそらく、全く本を読んでいない人はいるだろうし、もっと楽しんで読書している人が多いのだと思う。わたしは今も本を読んではいる。今まで読んできた本に、わたしはかなり大きく影響されている。高校時代から振り返ってみる。

最初に買った文庫は、ゲーテ格言集。高校で最初の授業でゲーテが扱われたので買ったが、その後の人生をずっと導いている、不思議な本である。わたしのやめた高校は全国有数の進学校だったので、在校生は相当に読んでいる人も少なくなかった。だから、こうして振り返ってみると、わたしも読んでいたほうなのかもしれないが、わたしは読んでいないし、読めていない、と今でもずっと思い続けている。謙遜なのか、自己否定ないし虚無なのか、何かいくら本を読んでも読み足りない感じがするのは、病的なほどなのだろう。わたしが自分で買って読んだ本のうち、授業で扱われた作品を除くと、次のとおり。
漱石:坊っちゃん・吾輩は猫である・三四郎、鴎外:舞姫、谷崎:文章読本・陰翳礼讃、志賀:城の崎にて、ヘッセ:車輪の下、カフカ:城・変身、カミュ:異邦人、ランボー:地獄の季節、中島敦:文字禍・李陵、安吾:堕落論、公房:砂の女・箱男・壁、中也:山羊の歌、井伏鱒二:山椒魚、三島:小説家の休暇・金閣寺・仮面の告白・花ざかりの森・詩を書く少年、太宰:人間失格・斜陽・晩年・道化の華、芥川:鼻・蜘蛛の糸・河童・侏儒の言葉・歯車・或阿呆の一生、ウィトゲンシュタイン:論理哲学論考、キルケゴール:死に至る病、ニーチェ:ツァラツストラ、三木清:人生論ノート、パース:連続性の哲学、丸山健二:夏の流れ、村上春樹:海辺のカフカ、平野啓一郎:日蝕、吉田修一:パーク・ライフ、ボーア:量子力学の誕生。
ほか、途中で挫折した作品や、軽い読み物は入れていない。結局、この中に面白いと思った作品はなく、それどころか、小説に読まれて呑み込まれてしまい、頭脳が壊れてしまったので、全て嫌で、読んだことを後悔している。これが小説が読めない、本が嫌な原体験であることは間違いない。

大学時代は一転し、文学や哲学を徹底的に軽蔑し、数学や科学の本を、捩子が外れたかのように乱読し続けた。知識欲が爆発した5年間だった。数学や物理学の教科書を、開講されている全科目分読み解き、専門書にも手を出した。特に、臨時別冊数理科学という雑誌は70冊以上購入し、ペンでメモしながら読み切った。ちくま学芸文庫 Math & Scienceのレーベルも50冊ほど買い、半分くらいは最後まで読んだ。一般向けの科学書も多く好んで読んだ。科学論文も心を昂らせて読んだ。ほか、入学後、なんとか入門、とタイトルにある本はとにかく100冊読むことにし、達成した。アフリカ学入門、商品流通入門、農業経済学入門、とかいろんな分野に首を突っ込んだ。芸術論も読んだ。制作のためでなく、数理研究の感性を磨くためであった。パウル・クレー、ブーレーズ、荒川修作、川久保玲、伊東豊雄、李禹煥は、分厚かったが読んだ。

大学院時代、わたしは文学に帰ってきた。日本文学ではなく、海外の、しかも短めの、そして芸術性の高いと感じた作品であった。マン:トニオ・クレーガー、ヴァレリー:若きパルク・ドニベルトレ氏による伝記、ヴェイユ:重力と恩寵、スピノザ:エチカ、世阿弥:風姿花伝、九鬼:偶然性の問題、ウィトゲンシュタイン:哲学探究、ミンスキー:脳の探検。ブログが流行り出していた時期で、将来も独身で過ごすつもりで、数学や文学や哲学のブログを書いて生きていこうと思い描いていた。

ところが、結婚するのである。結婚後しばらくは主夫となり、妻の本棚にある文庫を借りて読んだり、単なる娯楽として文学を読むようになった。ラッセル:怠惰への讃歌・幸福論、フィッツジェラルド:グレート・ギャツビー、円城塔:これはペンです・道化師の蝶・Boy's Surface・Self-Reference ENGINE、チャペック:いろいろな人たち・こまった人たち、國分功一郎:暇と退屈の倫理学、ウィトゲンシュタイン:哲学宗教日記、千葉雅也:勉強の哲学。ほか、オライリーの本を仕事のために10冊くらい読んで勉強の糧とした。

30代になり、教会で80代の大先輩と知り合った。ダンテの神曲を勧められ、読み終えてから、キリスト教の信仰によって生活や人生を立て直そうとの考えで、キリスト教に関係する古典を読むようになった。カント:啓蒙とは何か、サン=テグジュペリ:人間の大地、パスカル:パンセ、セネカ:人生の短さについて、ヒルティ:眠られぬ夜のために・幸福論、ウェーバー:プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神、エピクテトス:人生談義、ショーペンハウアー:読書について、ソクラテス:メノン・プロタゴラス、トルストイ:人は何で生きるか、ジョイス:若き日の芸術家の肖像。

しかし、教会で言語能力を否定されたこともあり、命が続かなくなる心境となったため、教会を離れ、ストレスによる症状とともに、読書の目的が変わった。離れてから読んでいるものは、アリストテレス:詩学、モーム:サミング・アップ、リンドバーグ:海からの贈物、千葉雅也:センスの哲学、モンテーニュ:エセー、マンロー:ディアライフ、芦部信喜:憲法、宍戸ほか:憲法Ⅰ・Ⅱである。今まで読んだこともない、文学論やモラリスト、憲法学に関心を持っている。

総じて、本はわたしの人生で切れ目なく読まれているようだ。でも、わたしは本は嫌いだし、読めてないと思うし、小説は楽しいと思わない。むしろ、読んできてしまったことを恥ずかしく思うし、振り返ってみても後悔の思いしかない。なにが面白いかわからない。そうではなく、読書は楽しむためにすることではない、つまり、娯楽ではない、と初めから考えている。


基底

わたしは、何を思い、どんな気持ちを感じて生きているのか。それが、わからない。わたしはやはり透明で、内側にも何もなく、その空洞を伴ってただ机に座り、街を歩いているだけで、わたしがどこかにいる感じがない。それは、わたしが、抽象と具体が一体となった、内容のないわたししか持つことができないからである。それは何者でもないわたし、何者にもならないわたしであり、何も意味のない、何の思いもないわたしである。ちなみに、ここでわたしという言葉を使うわりに、普段のわたしは、わたしについて話さないばかりか、わたしの気持ちや思いを言うこともしない。1日の9割以上を黙して過ごし、妻との会話でも別にわたしを主張することもない。要するにわたしは、誰にもわたしを言い表せないまま、ここにわたしについて書いているのである。ただ、わたしが黙しているのは、実は、黙さざるを得ないからである。何か言葉で語り表せるようなわたしが、わたしには何もないのだ。

これが普通だと思っていたが、そうでもないように思えた。そこで、次のような発想に至る。人には内側に内面的構造があるのだろうと。何か内側に、豊かで複雑な、そして確かにあると信じられる構造が、誰もがそれぞれ持っているのだろうと。しかしそれが、わたしにはない。明らかに存在していない。頭の奥から腸の先まで、わたしの内側は明らかに何もない。単に空洞、洞穴であり、天候がある。しかしそこに何か海岸線のような複雑な構造は何もない。単純な空洞である。だからわたしは常に単純な数語で説明できる。だから会話は数語ですぐに終わる。わたしが素直で純粋だと言われる所以はここに由来することを、わたしもよく承知していて、言われるたび、無力の自覚を伴う。だから純粋だとか素直だと褒められても、嬉しくもない。その言葉にそぐわないことをよく理解しているからである。

わたしが教会から離れた理由は、疲れが限界に達したためであるが、その疲れの成分ははっきりしている。わたしは、もう幸せであり、それは生まれた時からそうであり、一般的に不幸と言われる体験の中でも幸せであったから、わたしは幸せかどうか、という基準でものは考えていない。強い幸せも微かな幸せもあったし、不幸も幸せのうちだと感じる素質はある。また、楽しさも問題でない。楽しいかどうかについても、わたしはこだわらない。人生が楽しみに満ちていなくてはならない、という強迫から解放されてからは特に、楽しさをむしろ減らし、遭遇した時は警戒するほどに慎んで生きようと、わたしは決めている。

問題なのは、喜びである。聖書には、喜びなさい、という言葉が何回も出てくる。しかし、この喜びが、わたしはわからない。喜びなさい、とあるので喜ばなくてはならないという思いが煩いになり、わたしは疲れ果てている。わたしは何を喜びとしたら良いのだろうか。これがわからなくて5年通った教会でも、わたしはわからなかった。わたしの喜びとは何か、という問いが聖書的に誤りだとすれば、その問いを通してでしか喜びへ至れそうもないわたしは、やはり聖書から外れた者としてしか存在できないのだろうか。喜びは明らかにわたしのものではないのに、わたしの喜びが本当の意味では喜びにはならないはずなのに、そうではない喜びが、わたしには10年かけてもわからなかった。

それはおそらく、誰かのせいでない。当然、イエスによるものでない。普通そこまで考えて止まれるところを、知識や思考の力によって、軽々と先に進めてしまう。心の停泊所が存在しない。こう思うと、才能ないし知性が、幸福をもたらさないことも、非常にしばしばある、と思わされる。以前の時代は、学問上の発見も、作品や思潮も、それほど数はなく乏しいものだった。新しいものを作ることで、幸福の幟を揚げる余地があった。しかし、今は、その過去の狼煙や遺物も含め、読みきれず消化しきれないほど、存在する。学問や芸術で大きな成果を挙げることを、人生の目的にしてしまうことが、人間らしい幸福を阻むことを、直感的にわかっている人はすでに多い気がする。生計を立てなくてはならない心の圧を己に掛けることで、幸福そうに見えない知識人たちが多い印象がする。人間の根源的な善を、世から隠れて求めるのが、今の時代、賢者とされる。公に語る人はいないことだけど。

わたしは、学問をだいぶ割り引いて考えている。何か学んで自分が変わって、いいことがあったかと考えると、眼の前の問題を躱すことができただけで、過ぎてみれば、門外漢と話が合わなくなるだけだった。科学の知識とは、西洋の薬のような設計で、利用するとその悩みの矛先の緊張は解消するのだけど、結局、その根本の矛をなぜ持っているのか、または矛の形が円く変わることは決してない。だからわたしは研究者にならなかった。専門知識の共有とか、反吐が出るのだ。大学に残ろうという思いは、10代から考えなくなってた。研究はわたし自身で行い、わたし自身が満足できる成果が出せれば、それで充分成功だ、と見方が固まっていた。大学受験のために少しも勉強しなかったし、就活もほとんどしなかった。キャリア教育が大嫌いなのだ。平凡な教育、平凡な人生こそ、小人物であるわたしにふさわしいのだ。学問は余暇の楽しみ、にすぎないもの、にとどまるべきだと思っている。これでは現代の職業研究者になれるはずもない。

大学で学問を修めれば、SNSを使えば、言いたいことが言えると考えている奴。誰かがあなたの言うことをあなたが理解してほしいふうに理解してくれるとでも思っているのか。希望とは、あなたの願いを叶えるために活動することではない。自我を磔刑に処して初めてわかるのだ。人はそれぞれ、厳しい他者を飼っている。それはその他者の心や性格ではなく、本質的にその他者に属さない、飼う人本人のものであるに違いないのだが、それを本人のものと認識していないか、認識する必要がない。人はその他者を心に飼うときに、飼い主本人のものとして署名してから飼うのである。あなたの言いたいこと、本心、望みや願いは、その餌になる。主張とは所詮、そのようなものに過ぎず、誰かを動かしたり扇動したり、世の中や歴史を変えるためのものではないのである。世の中が変わってしまったら、それは副次的な作用なのである。

こういう他者が、わたしには住んでいる。誰なのか、よくわからない。いつ住み着いたのかも定かでない。この他者が、わたしに生じたはずの思考や感情を食い殺し、わたしは常に透明を保っている。わたしには何もない。この凶暴な猛獣を除いては。


前層

わたしは、人の言動に悩み苦しむ。聞いたその場で理解することが苦手で、いつも持ち帰ってからでないと処理できない。あの時のあの言葉はどういう意味だったのだろうか、なぜあの話をあの場で出したのか、その場でわかることがほとんどない代わりに、3日間考えて初めて意味がわかるような日常を過ごしている。この習性のため、わたしは変に人の話を覚える記憶力がよく、聞いた話や言葉の端々を思い出すことができる。言ったことを忘れがちな人に、この特性を褒められたことがある。わたしは自分が言ったことは大体覚えている。発言には責任を持つ、とはこのことだと思って生きている。だから、失言や無礼を働いた時は、その思い当たる発言を書斎で無限回反芻するのだが、肝心の、なぜそれがその人にとって失礼に相当したのか、という背景が話から全くわからなくて、理由もなく謝ることしかできない。その罰なのか、今まで10回くらい経験した失言は、言った人はもちろん、その場の模様や相手の反応や言葉まで克明に記憶しており、無限にわたしを反省させる。

わたしの精神生活はこのようなものだが、いつも思うことは、わたしの思いはわたしだけか、同じように思う人が少ないものである。わたしと同じような精神で生きている人がいると言える自信がない。それに、わたしのような思考と精神で、この人生と同じような歴程を歩んだ人を、わたしは知らない。ということは、わたしの思いを人に話してもわかる人はほぼいないだろう、ということになる。人にわかるように話すことができない、という自信のなさもある。人がわかるようなことは、わたしでは思ったこともない、ということがほとんどだったという経験値もある。だから、わたしはわたしと話をするほかない。今までわたしは人に相談したことがない。友人にも両親にも打ち明けたことがない。何を打ち明ければ、打ち明けたことになるのか、という問題が擡げる。すると必然、わたしが苦しむ原因であるわたしの思いや認識の方法を、わたし自身で分析し議論していかなくてはならない。わたしの思いをわかる人はわたししかいない。わたしの思いの全体を理解できる人も、わたししかいないだろう。わたしが何か書き残しても、永久にそうだろう。人から相談していいよと言われて関係が続いた人をわたしは知らない。

本音を好む世代があった。本音で語らうのは打ち解けた証拠だ、と。でも、彼らの好む本音は、本心とは違う。建前ありきの世界線で、それを崩しずらす本音にすぎない。本音を聞いても、その人の姿が見えたと思うことはない。本心なんて、誰も知りたくないのだ。人の本当の気持ち、どう思ったかの感想、そんなことは。気持ちは、強さも量も、ほんの少しだけ、丁寧に包んで、伝える程度で済ませる、それでいいのだ。それより深い本心、真心からの言葉、そんなものをいただいてしまっては、恐縮させてしまうものだ。ましてや、それが美しくないものなら、震え上がってしまうだろう。嫌われる、とはそういうことだと思う。

気持ちは3層を成すと考えている。話される層、これが最上部。人に見せる皮膚。その下に、書いて語れる層、これは流動しており、書いて出すことで代謝される。心にしまう層、これが最底に位置し、これがない人もいる。しまうことができず喋ってしまう人である。それが面白いと思っているのだろう。ただ、人は本心なんて、誰も知りたいと思っていないのだ。だからお喋りは怖いもの見たさの娯楽になる。こうした刺激に慣れてしまうのは、品がない生き方に変わりやすいと思う。

わかる話は、わたしの中にわかる種が見つかるから、わかるのであろう。しかし、人によってその種が違うことを、わたしはよく考える。もし100人と知り合わなくてはならないなら、と考えるだけでぞっとする。しばしば、自分を出していいんだよ、と言う人もあった。しかし、わたしは、オープンすぎる人には気をつけるようにしている。その人に出したわたしは明らかにわたしではないからだ。それ以降、水面から釣られた魚のように、呼吸の仕方が変わって苦しくなる。疲弊する。もし今後、開放的な人に出会って、心をオープンにしようなどと言われようものなら、真に受けてわたしを出すなら、わたしは関係を疎む人なので、1人にしてください、で終わる。それでいいはずがないことくらいわかっているが、わたしはそれがわたしらしくていい。

人は自分のことしか見えないのではない。人の中に人を見たり、人の中に自分を見たりするものだ。しかし、違いを尊重する、という態度は、とても居心地がわるい。自分は誰でもない、誰としても生きていないことが明らかになってしまうからだ。わたしはやはり、誰かの中に成分としてしか存在しないし、わたしの持ち物はわたし自身では認識できない。違いを見るよりも、わたしの成分を見たほうが、その人と仲良くなれた気がするのに、違いを鮮明に出す理由や目的でもあるのだろうか。そして、その同じような人として生きようと志向する生き方が、全体主義の原因だとか理論づけされてしまうと、なにも言えない。わたしのこの態度がホロコーストを引き起こしたのね、ではわたしって何者?個人主義を徹底すると、ぶどうの枝から果実が落ち、果ては枝も枯れ細るだろうに。好きなことで稼ぐ時代は、好きなことで惑わされやすい時代だ。多くの不要なことで迷わせられて、どうでもいいことで時間も心も費やされ、疲れ果ててしまう。所詮、好きとは、忘れないために記憶を繋ぎ止めておく舫い。嫌いとは、むしろ自分に撒いて波立ちを凪ぐ油。それらの中で、水面から沈殿した感情だけが、わたしを構成する。


測地線

わたしは理解されない。わたしを理解してもらおうともしない。わたしは、わたしを理解することを諦めている。その代わり、わたしは人を理解しようとする。いつも人を理解するために学んでいる。しかし、わたしは自分のことを少しも理解していないのである。自分に全く興味がない。つまり、わたしは理解できていない自分を常に心に抱えて、人を理解するために延々考えて生きている。

なぜ、そんなにも自分を大事にしなくてはならないのか。自分を大切にしてくれる存在がなぜ喜びなのか。これはわたしには子供の頃からの大きな疑問である。自分ってそんなに大事なの?自分ってそんなに確実にあるの?自分がなくても、消えてなくなっていても、そのほうが清々しく気持ちよければ、それで生きたっていいはずではないのか。なぜ自分をそんなに大切にして生きなくてはならないのか。

わたしは、幼稚園に上がる前から極度の人見知りで、人に感謝しない子どもだった。というのは、何か貰っても、わたしは使わずにずっとしまって取っておくか、家族にあげるか、誰にも言わずに捨てていた。誰にも言えなかったことだが、バレンタインデーにもらったチョコレートは、そのほとんどを住宅のごみ集積所に置いて去っていた。この行為の意味はなにもわかっていなかったから、確信犯的な悪意はなにもない。何かしてもらっても、取り敢えず体としてありがとうございました、とは口にするが、いつも、わたしにはしてもらわなくていい、と思いを強くしていた。だから、それでもしたがるということは、わたしにもしたいからしたのだろう、ありがとうと言われたいからわたしにもしているのだろう、との考えがわたしの常識だった。念のため。わたしは、望むことをしてもらった時は本当に感謝する人だ。過去に何回かある。しかし、わたしにしなくていい、と思うことについては、本心では感謝することができない。なぜわたしに。わたしは望んでいない。口では体として言うし祈るけれども、わたしの思いはいつも置いて行かれた。

わたしは一度だけ、親に駄々をこねたことがある。父が、ソフトクリームを食べないか、というので、いらない、と言った。ジュースは、と聞くので、いらない、と。そこは屋上だったので遊具があったが、父が乗ってみようというので、わたしは、嫌だ、と泣いて駄々をこねた。わたしは何も買ってほしくなかったし、何もしてほしくなかった。父は驚いたらしく、これ以降わたしがこのような駄々をこねる必要がないように何かを買おうと言わずにいてくれた。わたしが親に買ってもらったことがあるのは、10円のガムくらいである。わたしがねだったためではなく、なにもいらないと毎日のように言い張るわたしを、親が見かねて買うことを勧めるものだから、渋々買ってもらってあげていたのである。わたしは何も欲しくなかったし、持っている物がなくなってもなんとも思わなかった。BB弾を数年かけて集めた缶は、欲しいと言った同級生にさっさとさしあげた。漢字をびっしり書いて合格した学習ノートは、検定を受けたいと望んでいた女子に全冊渡した。わたしは人に何の気なしに差し上げる。欲しいと言われたら差し上げる。必要だと言われたら買ってあげる。でも、わたし自身に何か差し上げたいというときは、断るか、いただいても人にあげたり、申し訳ないが処分している。

わたしのような考え方では、孤独になるのかもしれないが、わたしは孤独を感じたことがない。なぜなのか考えてみると、共感することがないからだと思った。人は共感してもらおうと話すものだし、共感しなくてはならないと聞くのだと思う。でも、わたしは共感しきることができない。わたしには共感できるだけの経験がないからである。そして、同じ理由で、共感してもらおうと思うことがない。なぜ自分の話を人に話さなくてはならないのか。その動機づけがない。それに、わたしの精神生活やその個人史に共感できる人などいないだろう。イエスやパウロや、数名の哲学者が、わたしの個人史と重なる軌道にあり、その軌道を修正する役割を持っているのだが、それだけでわたしは充分である。だからか、わたしは孤独であるようだが、孤独を厭ったことがない。それどころか、孤独を倦んだことも、否んだことも、革たにしようと考えたこともない。わたしは、わたしの個人史をわたしが生きれば、それでいいのではないか。人生はそれで充分であり、それ以外の何かにしなくていいのではないだろうか。人生はわたしが生きる以上の価値があるとでも思うのか。

わたしの道はそこから始まっているので、そこに着地するほかない。


消滅定理

わたしは本心を知っている。本当は、無感覚になりたい。何も感じず、何を見聞きしても心を動かされず、ただ透明な空間に透明なまま、在りたい。経験も、知識も思考も、意識も存在も消えたまま、単なる透明な存在として生きたい。今までの20年間は、それが幾分か叶っていた。ただ、この思いはわたしの欲の思いだと、教会は言った。

わたしは、子供の頃に、文字や記号と戯れていた記憶が鮮やかに残っていて、友人と遊んだ記憶や、話した記憶、それどころか友人がいた記憶がない。名前の漢字は何人か覚えているから、友人はいたのだと思う。しかし、もう25年は会っていないし、付き合いもない。顔も思い出せない。子供のわたしは、文字や記号を書いているとき、見ているとき、集めているときが、最も幸せだった。至高のところにつながっている感覚があった。それは自分を抹消したところ、世の中や人間をはるか見晴らしたところ、それらを塵のように思うところ建築や歴史や宇宙の中に視界を置くことだった。そこにわたし固有の経験は必要なく、その意味もなく、そもそもわたしが心の構造を持つ必要もなく、むしろそれは崩れ去っていたほうが良い。わたしはただ空間を占める形、そしてそれはほんの小さい空間であり、社会を歩くそれぞれの人も同じように小さな空間であり、それらが薄い球表面を彷徨しており、球は無数の球と磁石のように回転関係にある。要するにわたしは塵であり、空間は無限に遠くまで波立っており、おそらく海岸にいる時のような音もするだろう。わたしが16歳の時に港のベンチで素数の研究を志した時に想像したことである。

半ば残念なことに、18歳までに、わたしの見方はそれで閉じてしまった。正直に言えば、今もわたしは、わたしの身も心も、つまりわたし自身をも、単なる空間と記号として見ている。さらに、すべての文書、つまり本やウェブやプログラムも、そして緑の葉や風の形や雲や星も、同じように見ている。神をも、そうして見ることは、不可能ではないのだが、そうしてはならない、そうすることが許されないことを、わたしは教会の礼拝で感じ知った。なぜなら、そうして見ても、わたしは幸福であるが、わたし以外の人にとっては意味をなさないからだ。

わたしは結局、人を理解できなかった。身近な友人も、両親やきょうだいも、先生も、誰についてもわかれなかった。わかった例しがない。幾分かでもわかった気になっても、その後すぐにそれは覆された。人間を1人理解するのがこれほど困難なのに、ある命題を論理的に完全に分析できた、ということは、論理の方が人間よりはるかに簡単だということである。また、論理を操る人間の性質よりも、普段の人間の方が、深い謎に満ちている、ということである。

わたしは今まで、構造を直観し推論するばかりでものや世界を考えてきた。実際、その思考で大抵のことは済んだし、なにか作ったり考え出したりして、果たしたいことはほとんど、果たしたかっただけ果たせた。しかし、やはり全ては構造でしかなく、中身のない容器にすぎず、わたしがこの世界に居なくたっていいに決まっていた。結局、自己否定、空虚、自己抹殺の衝動から、決然とした自傷の反復が身についた。今までの世界観、思考方法の価値、いかにしてこのような思考ができるか、その方法や生き方について、また、なぜわたしはこの思考を何十年も好んできたか、それを続けてきたか、この意味について、考えている。わたしは、この世界観から離れようとしている。しかし、岸に朝靄がかかっていて、どこに辿り着いたかよく見えない。

わたしは様々な数式や幾何や制作を通じて、自然や世界のあらゆる形態を数学で研究することによって、つまりは、わたしの構造を知りたかったのだろう。しかし、わたしの見てきた構造は、この世のどこにもなく、いや、潜んでいる構造としては広くあまねく存在しており、それは人々にとっても新しい発見を含むものもいくつかあるはずなのだが、その数式や図形の表す構造そのものとしては、世のどこにも存在しないのだった。なぜこう言い切るのかといえば、わたしが存在しなかったからだ。この世にあるものの構造を形成できる数理は、これからも見つかるだろう。でも、わたしは存在できなかった。いくら考えても、見つけても。わたしは、構造が全く消失したわたしから、始めなくてはならない。わたしをこれまで衝き動かしていたのは、好奇心ではなく、文字や記号で身を固めたい、ただ自分を守りたい、という欲求だった、のだろう。か。

結局、わたしの本心とは、端的に言えば、いつもこのような希望である:わたしよ、満足せよ。満足したわたしよ、消えよ。


忘却関手

わたしは1人でありたい。最近、SNSを消したり、動画の登録数を僅かにしたり、今までの関係を切っている。いわゆるミニマリズムの傾向とも言えるが、そろそろ人生を拡げる時期が終わり、絞る時期に入ったのだと思う。これ以上拡大する精神力はない。しかし、何人かお世話になった人たちへの恩はある。

本を電子や紙で多く買ってきた。本のいいところは、深くお世話になっても、耐えられなくなったら、後腐りなく手放せることだ。そして、また話したいと思ったら大抵いつでも安く買えることだ。人だと、そうはいかない。わたしが議論した人とは、すべて縁が切れている。対話した相手とも、関係はすべて消失している。わたしは、深く話した人との関係を維持する才能が、全くない。恩を忘れない人もいるが、何もかも忘れ去った人もかなりいるだろう。その相手の中には、わたしを今でも恨んでいる人も多いと思うし、思いが痼っている人も少なくないだろう。わたしが何もかも忘れ去った人であるからだ。

数学を大学以上の内容へ進むと、単なる未知の探究であるよりも、そこはもう人間性の世界、文学の世界だと言える。この人この問題まわりを考え続けるとは面白い性格だな、この先をこの方向へ進んだのは賢明だしこちらへは進まなかったのは健全だ、この荒野のような状態からこの概念を打ち立てるなんてカッコよすぎて飛ばしてるこの人天才、とか。今までいろいろな数学経験者と出会ってきたが、専攻によって人間の型もある気がしている。わたしは代数幾何が好きなのだが、代数系の人たちは寡黙で言葉数少なく、同じ部屋に居やすかった。論理系の人々は、さらに高みにいる気がして、尊敬の念を持てて好きだった。幾何の人たちは、性格の面でも知的な意味でも、明るい人が多かった。また、確率論系の人には奥ゆかしさを感じる興味深い人が多かった。しかし、解析系の人々には何か居住まいのわるさを感じてうまく付き合えた例しがなかった。

コミュニケーション、情報通信技術は、結局実利を取る。便利である、有益である、効率的である、ほど良い。これは通信機器や端末だけでなく、関わる人々の関係も、そのように見る人が次第に増えている気がする。結局は、人は基本的にひとりでしか暮らせない。今はそのように暮らせるゆえ、自由な時代と言われているのだ。では、なぜ知性はひとりでいることを好むのか。

いつも、誰かのことを考えて実際にメッセージ送らなくてはならない生活が、疲れたと、わたしは感じている。なぜなら、生活は、自分を押し殺して消すか、人に耐えられなくなるか、のどちらかしかないからだ。今わたしは、再び、身近な人について、関係を切って離れたり、逃げ出そうとしたりしている。わたしの中では、今まで、部活を辞めたり、高校を辞めたり、実家暮らしを辞めたり、会社を辞めたり、したことは、失敗だったとある面では思っている。なのに、今また、わたしが感じたことを消さないように心がけたら、耐えられなくなった人やものが多く出てきて、いろいろと離れたり辞めたりしている。わたしはこれからもそうやって関係を絶って生きていくしかない。ならば、わたしはそういう人ですよとあらかじめ断って関係を作るようにした方が、人を傷つけずに済むのかもしれない。また、あまり無闇に関係を作ろうとしたり、関係することを気安く呑んだりしない方がいいのだと思う。

みな、心の問題を、大なり小なり、抱えているんだ。わたしには、それがよくわかる。ただ、人の心とは、わかってはいけないものである。わかろうとすることは、神になろうとする思いになる。結局、そう簡単には死ねない。生きるしかない。子孫を繁栄させようなど、とても思えない。わたしは、周りに迷惑に思われないために、生きて存在しているしかない。わたしからすべての人が離れ去って行った時、わたしは初めて、心静かに過ごせるだろう。

人は二度生まれる。最初は、生むために、次は、生きるために。


初期値鋭敏性

子供の頃から好きなもの

文字:幼稚園に入る前までに、大体の文字は読み書きできた。ひらがなカタカナ、数字、アルファベット、漢字。漢和時点から好きな文字を紙に書き写していたので、学校で習う漢字で知らない字はあったし、大人でも知らない字で読み書きできる字も多くあった。それ以来、文や本を読むに困ったことがない、ように人目からはそう見えた。成績は申し分なかったからである。

記号:折込チラシの数字や矢印や図形を、切り取って貼ったり集めていた。街に出るとまず標識やマークに目が行き、場所や商品を楽しむ余裕がないほどだった。高校時代にパースの記号論に触れたことで、ファッションや造形、科学理論やプログラムまで記号と見られることを知ってからはそれらにのめり込んだ。

形:積み木やブロックのような、決まりきった形しか作れないものでは飽き足らず、段ボールや木材を拾ってきて、居間や公園の砂場で構造物を作るのが好きだった。木の枝で橋を作り川を流したり、身長大の家を作ったりした。それが恰も建築のようだったので、高校をやめて美術建築の学校に入門し、立体造形を学べていた頃は本当に幸せだった。

計算:カレンダー計算ができていた。といっても、部屋に掛けてあったスヌーピーのカレンダーをずっと見て、数字の並びに規則を見つけて、何ヶ月前はこう、何年後はこう、と推定できただけだ。実際、閏年を度外視すれば計算は合っていたので、祖父は驚き、父は才能を感じたらしい。社会人になって、自分で新しい計算方法を見つけてウェブで公表するのが趣味になった。

宇宙:小学3年生の時、天体番号に出合った。メシエカタログは110しかなく、7840あるNGCや、IC、メロット番号など、多くの番号体系があることを知り、それを調べることに3年間あまり夢中になった。図書館文献のあたりのつけ方、調べる手段がいろいろあること、集めたデータの管理の仕方、データから計算してわかることなどを、誰に教えられるでもなく学んだ。これが大学院で理学を修められた原体験である。

静かな音楽:居間でクラシックがかかっている記憶が、幸福な少年時代の象徴として今もずっと心に残っている。後に、父が好きでかけていたことを知り、そのCDのコレクションを見た。それがきっかけで、高校2年で自分で音源を買い、聴いた時に、底知れぬ感情を覚え、芸術への思いを深めた。ピアノの静かな曲が好きである。ピアノを弾く才能はないが、ピアノ曲に歌詞を振って歌ったり、作曲をたまにしている。

聖書:居間の本棚に、聖書があった。開いてみると、とても不思議な感じを覚え、辞典で培った文字知識を基に実際に読んでみると、とてつもない幸福を感じたものだった。それが愛だったのかは定かでないが、神についての概念はそこで植え付けられた。今でも、聖書を見るとその幸福が感じられる。しかし、それが正しい意味での愛なのかは定かではない。

家:歩いていて、家を眺めている。と、一緒に歩いていた人から指摘されて初めて、家を普段よく見ているんだな、と知った時があった。確かに、学校の校舎の構造を人に教えていたし、一度訪れた建物の構造を紙に容易に書き下せた。間取り図や立面図を書くのが仕事になれば楽だろうな、と考えたものだった。

道:地図が好きで、日本各地や世界の風景を想像するのが好きだった。また、どこまでも続く道をひらすら自転車で行くのも好きで、早朝に出て行って夕方に帰宅する、という休日が、高校時代よくあった。行ったことがない道は、必ず迷う。見たいところが沢山あるからである。一度通った道は覚えられるが、同じ道を歩くたびに差分が見つかり、楽しいなと感じる。

子供の頃からどうでもいいもの

お金:買ってもらうことも買うことも、興味も欲もない。株式投資をやってみたいと思ったのは、ただ数字の興味だけで、実際社会人になって株式を取引し元金を5年で3倍にしたが、目安の大台に乗ったら興味を失い、売却して団体に寄付し、元金に戻した。給料をどう使うか考えるのが面倒で、給料日が憂鬱である。

性:小学生の頃は、興味があったと思う。いろいろ馬鹿なことをした。しかし、確か誰かに怒られて、それがすごく深く刺さって反省したことで、それ以来異性が怖くなり、性に関して無感覚になった。それが愛していないことになるのか、と悩んで恋愛経験を重ねたが、やはり無感覚は克服できなかった。性に関心がない妻と結婚してからは安心し幸せに生活できている。

嗜好品:なぜわざわざ健康を損なうものを摂取するのか、理解できない。酒は学生前半で縁を切った。煙草は検証のため買ってみて分解し、構造を理解しなんだ怖くないと判断し捨てた。珈琲やエナジードリンクは眠れなくなるので怖くて飲めない。健康を損ないたい思いはわたしにも思春期からあるので、わたしは嗜好品に頼るのではなく自傷してきた。

車:怖い。車のない社会を夢見ている。物流が滞って得られる品数が限られてもいい。歩いていて信号機が見つけられず危ない目に年に数回遭っている。運転したら事故を起こすのは必定なので、免許は取っていないし、車が必須な地域には住まない。

食:おいしい、というのが大事だとあまり思わない。おいしさにこだわりがない。食は身体の栄養のために摂るのであって、それ以上のことはどうでもいいと思っている。高校生の時、休み時間に食品成分表を読んでいたが、その知識は今の生活に活きている。

評価:人からどう思われようが、別にいいや。といつも思っている。成績表は見ずに捨てていた。クラスの順位?偏差値?就職先や収入や肩書?どうでもいい。そんなどうでもいいことのために努力するなんて。能力や才能の評価も嫌いなので、才能を発揮してほしいと言われても、評価されるとぶっ壊して辞めたくなる。いい評価も悪い評価も、人を欺くと思う。

物語:ストーリーというのがわからない。脈絡、話の流れ、構成がよくわからない。お笑いなど難しすぎる。漫画も、コマ割りがわからなくて難しい。アニメも何が楽しいかわからないので見ない。小説も行間が読めない。行間を読むとはルビを読むことだと今でも信じている。

自分:既述の通り。

人間:やはり、人間を面白いと思えない。人間性、人間らしさ、生き物や命らしさに、何か感じないし、何も感じない自分が嫌になる。言葉や論理の世界には、自明なものはたくさんあるが、世界やこの世に自明なものなど何もない。だからわたしは、文字や記号や形や、純粋な音楽性や、数や、自然の物質性や、神が、好きなのだ。


オートエンコーダ

面白い話ができないの
言葉は文字であってほしい
意味にも思いが消えていてほしい
わたしには語りかけないで
本音の話は聞き流している。意味がわからないから。
記号と、意味がある、が結びついていない。意味は重荷である。
文脈では意味がわからない。だからいつも辞書は手離せない。
面白い話ができないの?


(Jul/2024)